第一次チェチェン紛争
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第一次チェチェン紛争(だいいちじチェチェンふんそう)は、1994年から1996年にかけて、ロシア連邦からの独立を目指すチェチェン独立派武装勢力と、それを阻止しようとするロシアとの間で発生した紛争。
1991年、ソ連崩壊の直前であるが、チェチェンでは元ソ連軍の将軍であるジョハル・ドゥダエフを大統領に選出。ソ連連邦離脱法を基に、一方的に独立を宣言した(厳密には、連邦離脱法はソ連構成共和国の離脱を念頭に置いたものであり、当時ロシア共和国内の共和国であったチェチェンには適応されない)。ロシアのエリツィン大統領はこれを認めず、1994年にロシア連邦軍はチェチェンに侵攻する。ロシア連邦軍はその圧倒的な軍事力にもかかわらず、チェチェン人ゲリラによる度重なる攻撃によって山岳地帯の支配ができなかった。ロシア連邦軍が広域に渡って支配権を回復したことで、ロシア連邦大統領のボリス・エリツィンは1995年、一方的に休戦を宣言し、軍隊の撤退を始めた。
1996年5月27日、エリツィンはチェチェンの抵抗運動のリーダーたちと初めて会見し、休戦を取り決めた。1997年、ロシア軍は完全に撤退した。
この戦争で推定10万人の市民と、2万人のロシア兵が死亡した。
[編集] 関連項目
- 第二次チェチェン紛争
- 『カフカースの虜』(映画)