福永光司
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福永 光司(ふくなが みつじ, 男性, 1918年 - 2001年12月20日)は、日本の中国思想史の研究者、とりわけ老荘思想・道教研究の第一人者である。
東京大学文学部教授、京都大学人文科学研究所長(1980年 - 1982年)、関西大学教授(1982年 - 1986年)、北九州大学教授を歴任する。京都大学名誉教授。
[編集] 道教研究の先駆者
元々は儒教の研究をしていたが、体格がよく柔道の強豪であった彼は兵隊に取られることが確実であり、生死の問題に行き当たって老荘思想および道教の研究を始めた。太平洋戦争中では、戦場での苦痛を和らげようとして石油ランプの下で『荘子』を読み、復員後は高校の教師を務めながら『荘子』の翻訳を行った。しかしそれは当時としては非常に特異な研究分野だったため、1960年代に日本を訪問したある中国の大物学者から「道教のようなくだらないものを国立大学教授が研究するとは何事か、あんなものは迷信に過ぎない」といわれたこともあったと後年回想している。
日本の道教研究史上において、福永光司が、その第一人者として位置づけられるのは、1974年4月より1979年3月に至る5年間にわたって、東京大学文学部中国哲学中国文学第三講座において、「老荘・道教」をテーマとして講じたという点に尽きる。
日本の道教研究は、それ以前から本場の中国や欧米に全く引けをとらない水準を保っており、諸外国に先んじて、日本で道教学会が設立されたのは1950年のことであった。また、戦前より小柳司気太、福井康順、吉岡義豊らの優れた道教研究者が輩出されて来た。その流れの中で真の意味で道教学・道教研究が東洋史、中国哲学史、中国仏教史の研究から独立したことを端的に表したのが上記の講座であり、実際にその後、その門下から数多くの道教研究者が出て多彩な活躍をし、今日の活気ある道教研究のさまを導いたと言えるのである。
道教、中国思想に関する著作を多数残しており、特に『荘子』の訳は定評がある。また、道教と日本古代史とのかかわりについても熱心に研究を続けていた。晩年は故郷である中津市に帰省し、講演活動中心に活躍した。
同郷の五木寛之と交流があり、共著も出している。