石川家成
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石川 家成(いしかわ いえなり、1534年(天文3年) - 1609年11月15日(慶長14年10月19日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。徳川氏の家臣で、石川清兼の三男(次男説もある)。石川数正の叔父に当たる。
官位は従五位下。日向守。徳川家康が今川義元の人質時代から仕えた譜代の家臣で、1560年の丸根城攻略戦、1561年の鳥羽根城攻略戦、1563年の三河一向一揆鎮圧戦、1570年の姉川の戦いのいずれにも参戦して功績を挙げた。その戦功により、遠州掛川城主に任命されている。
1580年、子の石川康通に家督を譲って隠居したが、1607年に康通が死去したため、やむなく家督に復帰した。1609年10月19日死去。享年76だった。
家康無二の忠臣と言われ、その信任は厚かった。その経緯から家成死後、本来なら無嗣断絶するところを石川氏は存続を許されたのである。