田無市
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田無市(たなしし)は、2001年(平成13年)1月21日に保谷市と合併し西東京市となった。
青梅街道、所沢街道が交差しかつ青梅街道の宿場町として江戸時代より交通の要所として栄える。
宿場町として陸運により発展していたため、鉄道の誘致に積極的ではなく甲武鉄道(現在のJR中央線)の開業によりその地位を一時失う。その後は西武鉄道新宿線の開通などで東京の市街地となり、昭和10年代から、大日本時計(シチズン時計)、中島航空金属、豊和工業(石川島播磨重工業)などの工場が設立された。太平洋戦争後は一部工場は閉鎖されたが、東京のベッドタウンとしての発展を続けた。
江戸時代より商業的に発展していたことから、周辺の地区が複数の村を統合して明治以降、村を形成したのに対して、田無は江戸から同じ市域で明治以降の田無村となった。全国の市で、複数の大字(に相当する区域)を持たない唯一の市であった。そのため明治20年代より幾度となく近隣市町村との合併の検討がされたが、2001年(平成13年)に隣接する保谷市との合併を果たした。
田無市は全国でも埼玉県蕨市、埼玉県鳩ヶ谷市、東京都狛江市についで小さい市であった。
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[編集] 地名の由来
田無の地名は1559年(永禄2年)後北条家の文書にあるのが最も古く、江戸時代以前より集落が形成されていたことがわかる。そのため地名の由来の定かではなくいくつかの説があります。
- 1 田んぼが無いため田無となった説
- 2 棚瀬が変化し たなし となり田無の字があてらてた説
- 3 田成が田無に変化した説
- 4 種なし が田無となった説、田無では税の取立てが厳しく種(本来ならモミか)までとられてまうため周囲の村から 種なし の村と呼ばれた。
1の説では、畑作が中心だった、現在の多摩地区ではどこでも田は無い(陸稲が中心)こと。 2と3の説では、途中で意味は正反対に変わってしまっていること。 4の説も田無の集落が近隣より比較して早くに成立していることなどから決め手となる説がないのが現状である。
[編集] 歴史
- 1868年(明治元年) 明治維新によりそれまでの代官支配から韮山県となる。
- 1868年(明治2年) 品川県となる。
- 1871年(明治4年) 入間郡となる。
- 1872年(明治5年) 神奈川県となる。
- 1878年(明治11年) 北多摩郡に編入され神奈川県北多摩郡田無村となる。
- 1879年(明治12年) 町制施行し神奈川県北多摩郡田無町となる。
- 1893年(明治26年) 北多摩郡が東京府に編入されるに伴い、東京府北多摩郡田無町となる。
- 1927年(昭和2年) 西武鉄道開通、田無駅開業。
- 1943年(昭和18年) 東京都北多摩郡田無町になる。
- 1967年(昭和42年) 市制施行 東京都田無市になる。(東京で16番目/全国で563番目)
- 2001年(平成13年) 保谷市と合併し西東京市となる。 (21世紀最初の合併による市制施行となる)