王基
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王基(おうき、190年-261年)は、魏末期の武将。字は伯輿。王豹の子、王徽の父、王翁の甥、王喬の従兄弟。
東莱郡曲城県の人。青州刺史の王凌に見出され、取り立てられた。才能に秀でており、やがて司馬懿からもその才を認められ、中書侍郎となったのである。ここで行政手腕を存分に発揮し、公平清廉な性格も認められて、司馬懿や司馬師、司馬昭らにその才能を評価されて厚く信任され、曹爽の従事中郎となり、その後安平、安豊太守に任命される。曹爽の専横を「時要論」で批判して曹爽を失脚させた。以前曹爽の部下であったため王基も免職するが直に復帰して、荊州の刺史となり重用されたのである。
軍事面においても、文欽や諸葛誕の反乱鎮圧に大いに功績を挙げるなど活躍した。この功績により征東将軍、都督揚州諸軍事に任命された。死後、それまでの功績を高く評価され、景侯と贈名とし司空の位を追贈された。
人望に厚く、忠孝心を重んじる人物であったと言われている。