滕胤
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滕胤(とういん、203年?-257年)は、呉の武将。字は承嗣。男性。
北海国劇の人。叔父の滕耽、父の滕冑と共に孫権に仕えた。12歳のとき、父は死んだが、その後を継いで孫権に取り立てられ、都亭侯に封じられた。三国志演義では諸葛恪と仲が悪かったことになっているが、実際は仲が良く、252年の孫権臨終の際、共に後事を託されている。孫亮が即位すると太常に任じられ、その補佐役に当たった。諸葛恪が魏の討伐を行なおうとすると、これに反対したが、聞き入られずに諸葛恪率いる呉軍は大敗してしまう。
やがて、諸葛恪の専横に憤った孫亮や孫峻らが暗殺計画を企んだとき、諸葛恪に対して身辺に気をつけるように警告したが、諸葛恪はこれを聞き入れず、殺されてしまった。後に孫峻の後を継いで専横を極めた孫綝を討伐しようと呂拠が挙兵したとき、武昌に駐屯していた滕胤も挙兵したが敗北し、捕らえられて一族皆殺しとされた。彼の妻のみは、兄の孫壱に救い出され、魏に亡命したという。
なお、滕胤は色白の美青年であったと言われている。