民航空運公司
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民航空運公司(Civil Air Transport/CAT)は、中華民国に1975年まで存在した航空会社。
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[編集] 概要
[編集] CIAの支援の下に
第二次世界大戦終結後の1946年に、中国共産党軍との間で再び国共内戦に突入した蒋介石総統率いる国民党政府のために、アメリカのOSS、のちのCIAの支援の下、「民用航空運輸隊」として設立された。当時の主な設立メンバーの中には、第二次世界大戦中に「フライング・タイガース」の愛称で知られたアメリカ合衆国義勇軍のクレア・リー・シェンノートがいた。
同社はあくまで民間航空会社として設立されたものの、国共内戦に伴う中国国民党軍の軍事物資や兵員の運搬業務が主であった。
[編集] 台湾島へ
その後同社は、民航空運公司(Civil Air Transport)と改名され、1949年には国共内戦に敗北し台湾島に逃れた国民党政府とともに台湾島に渡り、その後もCIAの後援の元に同社の運営を継続する。その後同社は、冷戦下に勃発した第一次インドシナ戦争や朝鮮戦争でアメリカ軍向けの運送業務につく傍ら、同じくCIAの支援の下設立されたエア・アメリカとともに東南アジアや中国大陸における諜報活動や秘密軍事活動に従事する。
[編集] 表の顔
また、表の顔としては、ダグラスDC-4Bや、「マンダリン・ジェット」と名づけられ、中華風の機内装飾が施されたコンベア880などの大型旅客機を運行し、台湾島内路線のみならず東京(羽田空港)や大阪(伊丹空港)、香港やバンコクなどへの国際線を運行するまでになったものの、1968年2月にボーイング727が台北で墜落したことをきっかけに経営が悪化し運行を縮小した。その後も会社は存在したものの、蒋介石総統が死去し、ベトナム戦争が終結した1975年に会社を清算した。