毛抜き
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毛抜き(毛抜, 鑷, けぬき)とは、体毛を挟んで引き抜く道具。 毛を抜く行為や動作の類似性から派生して、印刷分野では「抜き合わせ処理」、経済分野では株価の変動状態を表す。 笹巻き毛抜き寿司は「毛抜き」とも呼ばれるが、この語源に関してはいくつかの説がある。
毛抜きが登場するフィクションとしては、歌舞伎十八番のひとつ、毛抜が知られている。
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[編集] 原義:道具
毛抜き(けぬき)は、ヒゲ・眉毛・毛髪等の毛を抜くための道具の一つでピンセットの一種に分類される。古くは鑷、鑷子とも書いた。和名類聚抄には毛抜きの別名として「鼻毛抜き」が挙げられている。ただし、細かいものをつまむためのピンセットとは異なり、先端部分は幅広く接触面が平らになっており、毛を掴んで引き抜くことに特化されている。
[編集] 歴史
器具として現代のような毛抜きを用いるか否かに関わらず脱毛そのものは考古学的には2万年ほど前から鋭利な石器や貝殻を用いていた削り取るように剃っていたと推測されている。
脱毛剤は美観や宗教的な目的で紀元前4-3世紀頃より存在し、香料を混入した粘り気のあるペースト状態の油脂や澱粉を肌の上に転がして脱毛する方法は現代にあっても体毛を不浄と位置付けている宗教では婚姻の際などに花嫁に用いられている。また、溶岩が硬化する段階で火山ガスを放出して生成した微細な気孔を多く持つ軽石や火山灰を混入した練り物も存在し、微粒子が摺り合って体毛の切断や除去に用いられている。紀元前3世紀頃のシュメール人はピンセット若しくは毛抜きを用いて脱毛し、古代アラビア人は縄を体毛の上に転がして縄目の撚りを利用して脱毛していた。紀元前300-100年頃のものとされる古代ギリシアの出土品の中に青銅製のピンセットが現存する。[1]
古代のギリシアやローマでも女性は体毛の除去を行なっていた。紀元前70-30年頃のクレオパトラ7世を初めとするプトレマイオス朝の埋葬品の中にも青銅製の剃刀が存在し、砂糖と蜂蜜や蜜蝋を練ったものが使用されていた。
一方で男性に関してはヘロドトスが「人間は死後に髪の毛や髭が伸びるのに関わらず、エジプト人はヒマさえあれば髭剃りをしている」と述べ奇異を表しているように、成人男性は髭を生やしているものと考えられていた。[2]
しかしローマではやがて男性も髭を剃るようになり、さらには体毛を除去する男性も現れるようになった。セネカが浴場では体毛を抜くときにあげるうめき声が聞こえてうるさいと記していることから、紀元1世紀頃のローマの公衆浴場ではそれはよく見られた光景と考えられる。ところが髭をのばす風習はハドリアヌスの時代に再び現れる。ギリシアかぶれとして知られるハドリアヌスはギリシア風に髭を生やしたままにしたという。ハドリアヌス以前には髭を生やした皇帝の彫像は見られないがそれ以降にはしばしば見られる。
このような顔面を初めとして体毛を除去する行為は高貴な地位を表わすステータスシンボルとされていく。
12世紀に栄えたクメール王朝と推定される青銅製の器具の中にピンセットと同様の形態のものが現存する。対象物をしっかりと咥えることができるように先端部には凹凸が付いており現代のピンセットとほぼ同じ機能を有する。使用目的が脱毛であったのか細かい作業をするために用いたのか、或いは髪留めの簪(かんざし)のような装飾品であったのかは不明であるがピンセットとされている。[3]
平安時代(8-12世紀)の日本では表面が滑らかで、他の同種の貝でさえも決して合わない二枚貝のハマグリの外縁部を使い、額の生え際を整えるため毛抜きにしていた。額の生え際の何らかの脱毛処理は13世紀頃の英国でも行なわれており女王の肖像画から脱毛の存在を推し量ることができる。
[編集] 構造
利工具の毛抜きの形態は一本の金属棒を加工して二つに折り曲げた際に生じるバネ特性を利用した和式のものと、あらかじめ反りを持たせた2枚の金属板をスポット溶接で溶着してバネ特性を持たせたものに分類される。
[編集] 用途
用途としては主に遅れ毛や眉毛や鼻毛、陰毛など、デリケートな部分の毛を整えるためによく使われる。逆さ睫毛の場合にも用いられる。金沢市や越後高田(上越市)、江戸(東京)など、古くから工芸品として伝わったところもあり、江戸毛抜きとして伝統工芸化され、彫刻や宝飾品等をあしらった毛抜きを作る毛抜き職人も存在する。かつてはハマグリなど、殻がちょうど合う二枚貝が毛抜きのために使われたこともあったが、江戸時代以降は鍛冶や工芸の発達で鉄が素材の主流となった。近年はステンレスが主流であるが、チタンや貴金属で作られたものもある。
国宝の「梅蒔絵手箱」(静岡・三嶋大社蔵、13世紀)には、他の化粧道具とともに銀製の毛抜き(鑷)が収められている。同様の銀製毛抜きは、熊野速玉大社の古神宝類の手箱(11点が現存、1390年頃、国宝)や、和歌山・阿須賀神社伝来の「松椿蒔絵手箱」(京都国立博物館蔵、1390年頃、国宝)にも収められている。これらは神宝として奉納されたものなので、当時実際に使われていたサイズであるかどうかは不明であるが(神宝は通常より大きく作られる場合が多い)、姿は当時使われていたものを忠実に再現していると思われる。
穂積陳重の『板倉の茶臼、大岡の鑷』(「法窓夜話」所載)には、大正4年の江戸博覧会で大岡忠相の遺品の毛抜き(鑷)を見たことが書かれている。それによると大きなもので7寸、小さいものでも3寸の大きさで、穂積の時代のものより数倍の大きさだったという。
毛抜きは化粧用具に分類され、男女問わず使用されている。他に毛を整える手段として、毛剃り機やハサミがある。美容器具としての毛抜きは手動により対象物を一本ずつ除去するタイプと電動式で広い面積を処理するタイプに大別される。
和式の毛抜きは魚類の骨を抜くための骨抜きとしても代用されることもあるが、和式の毛抜きの先端が本体に対して直角なものが多いのに対して骨抜きの先端は45度程度に傾いている。
[編集] 外部リンク
- 脱毛の歴史(脱毛@大阪)
[編集] 文化
[編集] 歌舞伎十八番「毛抜」
日本の伝統芸能歌舞伎の演目の一つ、『毛抜』に毛抜きが重要な小道具として登場する。
天保3年(1832年)に市川團十郎 (7代目)が歌舞伎十八番としてに制定した際に『雷神不動北山桜(なるかみふどうきたやまざくら)』から三段目『毛抜』、四段目『鳴神』、五段目『不動』として分けた演目の一つ。
『雷神不動北山桜(なるかみふどうきたやまざくら)』は、寛保2年(1742年)に大坂の佐渡嶋長五郎座で初演。
[編集] あらすじ
とある大名の輿入れ寸前の姫君に降りかかった災難・「髪の毛が逆立つという奇病」を、ヒーロー・粂寺弾正が不審な動きをする鉄製の毛抜きをヒントにトリックを見破る。天井裏に仕掛けられた大きな磁石と姫君の鉄製の髪飾りを使って奇病を演出し、お家乗っ取りを図った家臣の悪事を暴き、解決するというもの。粂寺弾正の腰元や若衆にだらしない様、それとは裏腹の推理の冴え具合、毛抜きがひとりでに動き出すシーンでのリアクションや見得などが魅力の演目である。
[編集] 外部リンク
[編集] 派生語
[編集] 印刷用語
毛抜きとは印刷用語の一つ。毛抜合せ、若しくはトラッピングとも言う。
オフセット印刷では原稿を色分解し、多くは CMYK と呼ばれるシアン・マゼンタ・イエロー・ブラックの網点状の色版を其々作製して原版にする。このとき、分解した各色版がずれたり重なった場合に隣り合った色が混ざった色に見えてしまうために片方の色の網点を抜く作業を行なう。これを抜き合せといい、この時の色を抜く手作業や処理を毛抜きという。
一般的な画像ソフトで毛抜を喩えるなら、編集画像の拡大比率を上げて各ピクセルが個々に識別できる状態に表示し、隣接するピクセルごとに色を調整していく状態である。この操作はDTPソフトによってはトラッピングと呼ばれ自動化できるものがある。
この作業が毛抜きと呼ばれるのは、オフセット印刷の色版は再現性にもよるが数十分の一ミリから数百分の一ミリ単位で隣り合っており、前記の作業は1ミリの数分の一の毛を選り分けて抜く本来の毛抜き作業にも似ているところから取られた。
[編集] 経済用語
毛抜きとは株式用語の一つ。
株式相場では株価が繰り返し上昇若しくは下降した際の状態を示す符号が毛抜きの形状と似ていることから毛抜きという。
[編集] 笹巻きけぬきすし
- 詳細は江戸三鮨を参照。
元禄15年(1702年)に日本橋で総業した寿司屋の屋号。かつて江戸三鮨の一つに数えられ、現在も営業を続けている店舗とその商品。
携帯食の形態の一つで、押し寿司を握り寿司一つ分の大きさにして笹の葉を用いて巻く。 語源は、寿司職人が魚から毛抜きを用いて小骨を抜いて寿司のネタに仕上げていたとする説、魚から毛抜きで小骨を抜く意味ではなく「色気抜きの食欲をそそるほど美味い」から派生して「色気抜き(いろけぬき)」から色を外し「毛抜き」の字を宛てたとする説がある。
食材の腐敗予防や保存手段として酢と塩を用いて〆めたネタと酢飯を用いて押し寿司を作り、一口大に切断したものを殺菌作用のある笹でロール状に巻いて保ちをよくしている。巻き寿司や握り寿司に比べて歴史が古く、シャリの中央部にはネタが位置しておらず、巻いた笹を外すと握り寿司と同じ姿が表われる。