毅宗 (西夏)
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毅宗(きそう、1047年 - 1067年)は、西夏2代目の皇帝(在位1048年-1067年)。姓は李、名は涼祚。父は李元昊、母は没蔵氏。毅宗は廟号。
父親が殺害されて一歳で即位。そのため母親の没蔵太后と実家の一族によって専横される。即位翌年の1048年に景宗の喪中を狙って遼軍が来寇。第二次賀蘭山の戦いで西夏軍は大敗。数多くの損害を蒙った。福聖承道四年(1056年)、母親の太后が殺害され外祖父の没蔵訛龐が政務を執る。その五年後、訛龐親子及び訛龐の娘である皇后を殺害。梁氏を皇后にしてようやく親政が始まる。大臣や官僚の数を多くして政治体系を中央集権制に近づけ、皇帝軍の戦力を増強。その結果、政治は刷新されて国力は増強したがこれからという時に突然病死した。享年21。