歴史修正主義
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歴史修正主義(れきししゅうせいしゅぎ)とは、一般的には客観的・論理的・科学的・学問的に構築された歴史モデルから逸脱し、特定のイデオロギーに沿って独自の修正を加える思想・歴史観のことを指すとされるが、ある特定の歴史家、歴史観に対して否定的な印象を広く一般に植え付けるためのレッテルとして用いられるという指摘もある。また、単純に主流派の学説を批判するものは歴史修正主義者、それに対して反論する主流派を反歴史修正主義者と呼ぶ事も出来る。通常、歴史家は自らのモデルを歴史修正主義と呼称するのは希である。英語のrevisionismそのままにリヴィジョニズム(リビジョニズム)と呼ぶ場合も少なくない。歴史的修正主義とも呼ばれる。
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[編集] 「歴史修正主義」という用語が注目されるようになった背景
定義的には保守・革新に関わらず、思想的に偏向した「歴史学」に対して学術的歴史学から区別するために用いられる用語である。
ベルリンの壁崩壊以前冷戦下では、国内世論も右派左派という2極で立場を表す事が多かった。概して資本層は、保守(中道右派)を支持し、労働層は左派を支持した。
ベルリンの壁が崩壊して冷戦が終結以来、保守陣営は、現在の体制維持から一歩先に進み、自国の歴史を肯定的に捉え得る新しい歴史観が必要であると考えるようになった。
従来の東京裁判史観を守りたい人たちにとっては、この論争は歴史観の論争では無く、イデオロギーの対決であり、新しい歴史観を作りたい人たちもイデオロギー的動機を持つものがいた。東京裁判史観を主導してきた左派革新側の人たちは、彼らの主張に反する歴史観を野放しにしてしまうと、再び侵略戦争を起こしかねない、と考えた。そして、それを理解できない若年層が「思想は自由だ」「科学的なら何でも正しい」と考えて、戦争被害者の心情を踏みにじるのではないか、と危惧したのである。一方、東京裁判を“勝者の裁きであり不当”と批判する自由主義史観側(この史観への反対派はこれを歴史修正主義と呼ぶ)は、東京裁判史観を支持する人々を「自虐史観」であるとして批判している。そして、特定の国家に属する人々の心情に配慮することにより歴史認識が影響を受けていいのか、心情に配慮するという美名の元にイデオロギー性を隠しているのではないかと東京裁判史観を批判し、そうかと思えば全く同一の論理でもって、相手から批判し返されることもある。
このように、歴史修正主義論争はさまざまな次元でおこなわれている。従来の左派系、いわゆる東京裁判史観からみればイデオロギー対立であるのに対して、それを批判する側からみればイデオロギー対立としての次元と、後述するように歴史認識への厳密な資料批判の導入の必要性など、方法論批判としての次元が併存する。
ちなみに、ユダヤ人らに対するジェノサイドの経験を持つヨーロッパでは、ドイツ始めホロコースト否定を非合法にした国が多く存在する。
[編集] 概要
一般的に歴史修正主義とは、「客観的な歴史学の成果を無視し、都合の良い過去は誇張や捏造したり、悪い過去は過小評価や抹消したりして、自らのイデオロギーに従うように過去を修正するもの」であったり「すでに修正された歴史観の再修正をするもの」とされている。
歴史修正主義はナショナリズムの高揚と共に現れることが多く、ドイツのネオナチや、日本の「新しい歴史教科書をつくる会」が代表的なものとされる。歴史修正主義の主張として特によく挙げられるものに、ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)や旧日本軍による南京大虐殺が、現在言われている規模より小さかったとする立場や、同じく日本の軍事行動がアジア諸国に対する侵略、植民地化のみではなかったとする立場、各国の体制に対するアメリカの軍事介入を正当化する立場がある。
現代哲学においては、客観性は否定されるため、主観に基づく修正主義も必ずしも誤りではないとされる。実際に、歴史を客観的に把握、記述できるという立場は近年では支持を失っている。しかしその一方で、主観を前面に押し出してしまうと、相互理解が不可能になるため、間主観の考えからは、客観性に変わりうる何らかの基準が必要であると考えられる。もちろん、こうした歴史修正主義を批判する立場からも、「正しい」歴史、歴史観が提示されるとは限らず、またそのような歴史が「正しい」と証明されるわけではない。
厳密な意味での客観性は歴史学には存在しないため、どの歴史が修正主義かは論争の的になりやすく、「全ての歴史は修正主義」であるとの意見もある。しかしその考えでいくと、考古学・文献学などの緻密で論理的な営みも無意味になってしまい、極端な話、昨日何があったか、誰もわからないことになる。そのため歴史学では、そのような行き過ぎた相対主義は受け入れておらず、データを論理的に説明できるモデルが「正しい歴史」とされる。そして、そうでない場合、またその「ねじれ」の背後に特定のイデオロギーが働いている場合、その歴史観を歴史修正主義と呼ばれることが多い。
なおアメリカに於ける歴史修正主義とは専ら「原爆投下は正しくなかった」と主張する人々を批判する為に用いられることがほとんどであることにも留意する必要がある。ただ日本語に翻訳された場合、歴史修正主義という言葉は用いられないことが多い。
[編集] 批判者の指摘する「修正主義のレトリック」
いわゆる、従来の左派系の史観ではイデオロギーが事実判断に影響することを容易に認める傾向が強かった。 これは、東京裁判史観と自由主義史観の対立で東京裁判史観とされる側が、イデオロギーの対立であると宣言していることからも明らかである。しかし、このような立場は、資料を批判しそれに基づく論証を妥当とする立場からの方法論的な批判を浴びることとなる。
このことは、東京裁判史観の側からすれば、裁判と同様のレトリックが多用されているため、ディベートに不慣れなものは容易に欺かれやすいという反批判をうむこととなる。ただし、これらはどちらの歴史修正主義を批判する者達にも共通する特徴である点を忘れてはならない。また、このレトリックが部分的にでも有効性を持つのは、修正の対象とされる歴史が証拠の証明力などの検討や厳密な論証に耐え得ないイデオロギーを背景とした歴史観が含まれていたことの証左であるとも考えられる。
(注)この点を従来の歴史観に依拠する人々が恐れているという指摘がある。例えば、ホロコーストを事実だと主張する歴史家プレサックが、自らの言論を歴史修正主義者側の意見を参照しつつ死亡者の数値を書き換えた事が、その後の研究で明らかになっている。
[編集] 過大評価のレトリック
好ましい過去を必要以上に宣伝すること。一部を全体に拡大するのが特徴的という。
- 例1:植民地統治を評価する・しない「一部」の現地住民の発言を、「全」住民の統治への賛成・反対としてデフォルメする。
- 例2:併合に賛同・反対した「一部」の被占領者の意見を、「全」被占領者の併合への賛同・反対として誇張する。
つまり、証拠の評価に自分たちの思想(思惑と言って良いレベル)を紛れ込ませる。
[編集] 過小評価のレトリック
好ましくない過去を必要以上に矮小化、または無視すること。
- 例1:某国が敵対国に対し虐殺・虐待・搾取を行ったが、それを全く無視するか、取るに足らない事件として議論する。
- 例2:某国が植民地支配において、様々な搾取・抑圧・弾圧・差別を繰り広げたが、それを全く無視すること。
[編集] ダブルスタンダード証明のレトリック
好ましい証拠は批判せず、好ましくない証拠は徹底的に批判すること。
- 例1:一国の外交政策が多くの国から受け入れられている事はクローズアップし、批判するの国の政策などは逆に批判する。
- 例2:極端な人物の思想的・政治的背景を無視し、公正な第三者の意見のように装って引用する。
バランスの悪い思想上の表現のニュートラル化
[編集] 正当化のレトリック
悪事は他国の計略に乗せられたものか、止むに止まれず行なった正当防衛・緊急避難とすること。例えば、戦争当事国が自らの戦争責任を回避するために、こうしたレトリックを駆使するとされている
- 例 : 某攻撃は敵国の陰謀に乗せられ、やむなくするに至ったものである。
- 例 : 他国への侵略は、その国家内の政党の陰謀に乗せられたもので、我が国に罪はない。
- 例 : 我が国は世界の平和と正義の実現に努めているが、世界には秩序を破壊しようと企む者達がいる。この戦争はそれらの者達を討ち果たす為である。
[編集] 騒ぎ立てのレトリック
取るに足らない細かな矛盾点にしつこく言及し続け、好ましくない過去を否定すること。実際の裁判・科学的研究では証拠能力の議論としては行われれるが証拠能力の減殺される範囲についてはその反証の有効性によって左右される。
- 例1:引用情報の誤用の追求
- 例2:矛盾点をあげ、証拠全体を捏造と断定する。
[編集] 科学的証明と裁判的証明のダブルスタンダード
一つの主張の中に科学的証明法と裁判的証明法を混在させ、より有利になるようにその都度証明法を選択すること。
- 通常科学的証明においては、一定期間内に必ず結論を出さなければならない制約を課すものではないため、研究者がデータを研究しその結果「あるものはある・ないものはない・わからないものは(現時点では)わからない」との推論を下すことが要求されるのみである。(例:地球外生命体が存在するか否かは不明である=否応どちらの決定的証拠も未発見である)。ただし推論に関しては反証可能性をもたせ、追試、査読により他の検証を受けはじめて証明と公認される。
対して、
- 裁判的証明では、裁判は一定期間内に必ず結論を出さなければならない制約が存在するため、一方に証明責任を課し立証できなければ証明責任のない側の主張を事実とし、有効性を認めることが行われる。(例:犯罪の証明ができない場合、無罪とする。)
[編集] 日本と英米の修正主義における異同
英米のrevisionismと日本の歴史修正主義は、近似する点と異なる点を持つ。唯物史観および進歩主義への批判という点で軌を一にするいっぽう、1970年代から提唱されてきた英米のrevisionismはロマン主義や民族主義に異議を唱える。「歴史のロマン」や「グランド・ナラティヴ」を否定し、多文化主義的かつ地方分権的である。歴史を地方単位で捉えると同時に、世界システム論などヨーロッパ世界という視点を提示している。この英米的修正主義によれば、名誉革命はGlorious Revolutionではなく、Troubles in England(イングランドの騒乱)と再構成される。日本の歴史修正主義は主に大陸(特に独)の概念だけに依拠している。
なお現在、米国に於ける歴史修正主義とは一般的に、「原爆投下は正しくなかったと主張する人々」を指すことが多い。
[編集] リンク
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