根北線
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根北線(こんぽくせん)とは、北海道斜里郡斜里町の斜里駅(現・知床斜里駅)と同町の越川駅を結んでいた日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。1970年に廃止された。
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[編集] 路線データ(廃止時)
- 路線距離:12.8km
- 軌間:1067mm
- 駅数:7駅(起終点駅・仮乗降場含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:スタフ閉塞式(その前は票券閉塞式、さらにその前はタブレット閉塞式)
- 交換可能駅:なし(全線1閉塞。以久科は交換設備があったが撤去)
[編集] 沿革
「根北」とは「根室国」・「北見国」のことであり、釧網本線の斜里駅(現・知床斜里駅)から標津線の根室標津駅を結ぶことを目的に建設された。
改正鉄道敷設法には別表149号に「根室国厚床付近ヨリ標津ヲ経テ北見国斜里ニ至ル鉄道」と定められた(標津線厚床~中標津~根室標津を含む)。
その後、対ソ戦の可能性もあったことから国防の意味合いからも建設が進められ、1939年に越川橋梁(第一幾品川橋梁)が完成するなどしていたが、太平洋戦争の開戦により建設が中断された。
戦後建設が再開され、1957年の11月10日に斜里駅~越川駅が開通した。当時は沿線木材輸送が期待されたが、結局貨物輸送は振るわず、以遠の建設も進まなかった。1959年6月からは斜里バスが根北線に並行する国道244号線で斜里~越川~根室標津間の路線バス運行を開始したため、旅客も奪われて1日2往復の超閑散路線となった。のち赤字83線に指定され、沿線も鉄道用地の安価な払い下げ、並行国道の整備などを条件に廃止に理解を示し、1970年の12月1日に廃止された。わずか13年の短命路線であった。
廃止時には、斜里バスが斜里~越川(平田宅前)間を増便して対応したが、沿線人口の大幅な減少により、路線は越川小学校までに短縮されてしまった。1日1往復が平日に残るのみとなっていたが、ついに2004年4月27日に廃止された。
以久科駅舎は廃止後長らくビート畑内に残っていたが、1998年頃解体された。
なお越川橋梁は1998年、登録有形文化財に登録された。(この橋梁は未成線区間にあり、列車が走ったことはない)
[編集] 駅一覧
斜里駅(現・知床斜里駅) - 以久科駅 - 西二線仮乗降場 - 下越川駅 - 十四号仮乗降場 - 十六号仮乗降場 - 越川駅
[編集] 未成区間
越川駅 - 上越川駅 - 瑠辺斯駅 - 糸櫛別駅 - 古多糠駅 - 浜古多糠駅 - 忠類駅 - 根室標津駅
- 上越川駅までは斜里町内、瑠辺斯駅からは標津町内。