栗山利安
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栗山 利安(くりやま としやす)は、戦国時代の武将。黒田二十四騎、黒田八虎の一人として数えられる。
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時代 | 戦国時代から江戸時代前期 | |||
生誕 | 天文19年(1550年) | |||
死没 | 寛永8年(1631年) | |||
別名 | 善助(幼名) | |||
官位 | 備後守 | |||
氏族 | 栗山氏 | |||
子 | 栗山利章(大膳) |
1550年に生まれる。早くから黒田官兵衛孝高の側近として仕えた。1578年に官兵衛が織田信長に反逆した荒木村重の説得に当たるために有岡城に向かってそのまま捕らえられたとき、官兵衛を救出している。
1593年に官兵衛が隠居すると、子の長政に仕えて朝鮮出兵にも参加し、晋州城の戦いで功績を挙げた。1600年の関ヶ原の戦いでは黒田如水と共に豊後に侵攻し、大友義統と戦い、武功を挙げた。戦後、長政が筑前福岡藩に移封されると、1万5000石の所領を与えられた。
1617年、子の利章に家督を譲って隠居し、1631年に死去。享年82。
母里友信と義兄弟の契りを結んでいたとも言われている。また、子の利章は栗山大膳の通称で、利安没後の翌年に起こった黒田騒動の張本人として有名である。