松平近陳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松平 近陳(まつだいら ちかのぶ、寛永15年3月3日(1638年4月16日) - 享保4年12月10日(1720年1月19日))は、豊後府内藩の第2代藩主。父は初代藩主・松平忠昭(近陳は長男)。母は酒井忠正の娘。正室は阿部重次の娘。官位は従五位下。筑前守。対馬守。号は如元。名は昭重とも。
1638年3月3日生まれ。幼名は虎之助。1676年3月27日、父の隠居により後を継いだ。このとき、弟の松平近鎮に新田領を含めた1500石、同じく弟の松平近良に1000石を分与している。奏者番となった。1705年11月11日に次男の松平近禎に家督を譲って隠居し、1719年12月10日に82歳の長寿をもって死去した。法号:証真院。墓所:大分市の浄安寺。