朱異
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朱異(しゅい、? - 257年)は、中国三国時代の呉の武将。字は季文。朱桓の嫡子。子の名は不詳。
222年夏、彼が27歳くらいの時に父の代行として、魏の曹仁が呉を進撃した時、そのすぐれた統率力でこれを撃退したという。この戦局を聞いた孫権から功績を認められ、その武勇を称えた「肝が据わった噂通りの男」と絶賛されたという。やがて、鎮南将軍・大都督と昇進した。諸葛誕が司馬昭に対して反乱を起こしたとき、孫綝の命を受けてその反乱の援軍の将として赴くが、諸葛誕の敗北が濃厚であるのを見て、戦わずして撤退する。しかし孫綝の怒りを買い、再度侵攻するように命じられる。しかしこれはあまりに無謀すぎる進軍であり、兵の士気は上がらず、司馬昭の配下であった王基の軍勢の前に大敗し、その大敗に激怒した孫綝によって誅殺された。