朝鮮中央放送
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朝鮮中央放送 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 조선중앙방송 |
漢字: | 朝鮮中央放送 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
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片仮名: (現地語読み仮名): |
チョソンジュンアンバンソン |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
英語: | Korean Central Broadcasting Station |
朝鮮中央放送(ちょうせんちゅうおうほうそう)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)唯一の国営放送局で、テレビ・ラジオの放送などを手がける。運営組織の正式名称は朝鮮中央放送委員会。北朝鮮内の放送(以後、便宜上「国内向け放送」と記す)として、複数のラジオ、テレビ局がある。また、大韓民国統治圏および外国向けの放送として平壌放送(朝鮮語によるラジオ放送)、朝鮮の声放送(外国語によるラジオ放送)がある。
国内向け放送および平壌放送では、放送開始時の国歌演奏後に「栄えあるわが祖国、朝鮮民主主義人民共和国、万歳!」「朝鮮人民の全ての勝利の組織者であり嚮導者である朝鮮労働党、万歳!」というスローガンが読み上げられている。(2003年4月までは「偉大な領袖・金日成同志の革命思想万歳!」「栄えある朝鮮労働党万歳!」というスローガンが使われており、多くの視聴者はこれに慣れ親しんでいる。音源がアジア放送研究会サイトから聴くことが出来る)
目次 |
[編集] 歴史
朝鮮中央放送は日本統治時代の放送局が起源となっている。
- 1936年4月10日 - 朝鮮放送協会平壌放送局が第1放送の仮放送を開始(呼出符号JBBK)。
- 1936年4月11日 - 平壌放送局、第2放送の仮放送を開始(第1放送が日本語、第2放送が朝鮮語という構成)。
- 1936年11月15日 - 平壌放送局、二重放送(第1放送、第2放送)による本放送を開始。
- 1937年6月5日 - 清津放送局、放送開始(単一放送、呼出符号JBCK)。
- 1938年10月30日 - 咸興放送局、放送開始(単一放送、呼出符号JBDK)。
- 1941年8月 - 清津放送局、二重放送を開始。
- 1942年10月 - 開城補助放送所、運用開始(単一放送)。
- 1943年7月15日 - 元山放送局、放送開始(呼出符号JBJK)。
- 1943年8月1日 - 海州放送局(呼出符号JBKK)・新義州放送局(呼出符号JBLK)、放送開始。
- 1943年11月1日 - 城津放送局、放送開始(呼出符号JBPK)。
- 1943年11月10日 - 元山放送局・海州放送局、二重放送を開始。
- 1944年3月 - 長箭補助放送所、運用開始。
- 1945年8月15日 - 日本敗戦に伴い、日本による朝鮮半島統治が終焉。
- 1945年8月26日 - 北朝鮮、北緯38度以北の放送専用線を切断、京城中央放送局からの中継放送を廃止(南北の放送の分裂)。
- 1945年10月14日 - 平壌放送局、戦前からの施設を使って放送を再開。「金日成将軍祖国凱旋歓迎平壌市民大会」の中継放送を実施(現在の朝鮮中央放送の始まり)。
- 1946年5月 - 平壌放送局、平壌中央放送局に改称。
- 1947年3月16日 - ラジオ平壌、中国語放送を開始(現在の「朝鮮の声」の始まり)。
- 1948年2月 - 平壌中央放送局、北朝鮮中央放送局に改称。
- 1948年9月9日 - 朝鮮民主主義人民共和国、独立を宣言。
- 1948年11月 - 北朝鮮中央放送局、朝鮮中央放送局に改称。
- 1950年7月10日 - ラジオ平壌、日本語放送を開始。
- 1951年1月1日 - 海外向けとして平壌放送局(ラジオ平壌、Radio Pyongyang)設立。
- 1955年4月 - 朝鮮中央放送局、有線スピーカー放送(第3放送)を開始。
- 1955年10月14日 - 朝鮮中央放送局、朝鮮語による独自の対南・対外放送開始(現在の平壌放送の始まり)。
- 1963年3月3日 - 朝鮮中央テレビジョン放送、放送開始。
- 1967年12月 - 朝鮮中央放送、放送系統を朝鮮第1中央放送(対内放送)と朝鮮第2中央放送(対南及び対外放送)に分離。
- 1971年4月15日 - 開城テレビジョン放送、放送開始。
- 1972年11月10日 - 組織改編により、朝鮮第1中央放送を朝鮮中央放送、朝鮮第2中央放送を平壌放送と改称し、平壌放送を朝鮮中央放送から分離(1973年当時の日本語放送の局名アナウンスは、「こちらはピョンヤン、チョソン中央放送局です」)。
- 1973年4月13日 - 金日成放送大学、開学(平壌放送を利用した通信教育)。
- 1974年4月15日 - 朝鮮中央テレビ、カラー放送開始。
- 1982年9月1日 - テレビジョン放送大学、開学(朝鮮中央テレビを利用した通信教育)。
- 1983年12月1日 - 万寿台テレビジョン放送、放送開始。
- 1989年1月1日 - 平壌FM放送、放送開始。
- 1991年10月10日 - 開城テレビ、カラー放送開始。
- 1997年2月16日 - 朝鮮教育文化テレビジョン放送、放送開始。
- 1999年10月10日 - 朝鮮中央衛星テレビジョン放送、放送開始。
- 2001年2月16日 - 海外向けのラジオ平壌、朝鮮の声に改称。
- 2003年8月15日 - 全国のど自慢を平壌で開催し、韓国放送公社と南北共同で番組の進行、制作に当たり、録画を放送。
- 2004年10月31日 - 金日成放送大学、インターネット配信への切り替えにより放送終了。
この他、放送設備の増強などがある。近年、ニュースを読み上げる際の背景が、青一色からピョンヤンの風景に変わった。
[編集] 放送メディア
- テレビ(有線放送のため、日本国内では視聴不可。ただし、朝鮮中央テレビは外国メディアを対象に衛星配信されている。)
- 中波ラジオ放送(日本国内でも聴けるが、地域によっては電波が弱かったり、混信することもある(特に中部日本放送やNHK大阪と混信してしまうことがある)。621,657,1053,1080KHzなど)621KHzが朝鮮の声放送657KHzが平壌放送、1053KHz,1080KHzが朝鮮中央放送である。
そのほか元山、清津、咸興、沙里院、新義州、江界、平城、恵山に系列局があり、ローカル放送も行っている。
[編集] 放送内容
- 放送時間
- テレビ
- 朝鮮中央テレビ・教育文化テレビ:平日は夜間(17:00-23:00)のみ、日曜・祝日は午前中から放送している。
- 万寿台テレビ:週末の夜間(19:00-22:00)のみ放送している。
- ラジオ
- ※放送開始前にはインターバル・シグナルとして金日成将軍の歌をエレクトーンでアレンジした音楽、続いて国歌「愛国歌」の演奏を放送する。(これは平壌放送、朝鮮の声放送も同じ)また、その後には金日成将軍の歌、金正日将軍の歌の合唱が行われる。
- テレビ
主に、北朝鮮において、現政治体制や思想をたたえるプロパガンダの役割と娯楽の役割を果たしている。日本でも、アナウンサーが怒鳴るような声でニュースを読み上げる朝鮮中央テレビのニュース番組などが、テレビ番組で引用放送され有名になっているが、一方、万寿台テレビでは怒鳴る声を出すことはあまり無い(ただし最近は朝鮮中央テレビ自体でも怒鳴るような声は減ったが、金正日総書記に関連するニュースなどでは引き続き勢いの強い怒鳴り声がみられる)。更に、飽くまでも推量の範囲内であるが、金日成・金正日の言動や重要国策等に関するニュースを伝える時には、チマチョゴリを着た中年女性アナウンサーリ・チュニが出演する事が殆どで、怒鳴る様な声のニュースは細身の男性アナウンサーが行っている事が多い。噂の域を出ないが、同ニュースで「金日成」「金正日」などの単語を正しくはっきりと読まないと左遷されるとも言われ、その為に抑揚をつけて読んでいるとも言われる。
また、北朝鮮におけるドラマや映画なども、朝鮮中央放送委員会が製作し、放送している。ほとんどが現政治体制および思想をたたえる構成になっており、中には日本統治時代やアメリカ軍を描写した内容を構成に組み入れているものもある。「漢拏の木霊」(한나의 메아리「ハルラのこだま」、「ハンナのこだま」)などが有名である。
北朝鮮当局からの公式発表の多くは、朝鮮中央放送や朝鮮中央通信、労働新聞などから発表される。これらは、外国のメディアにとっても、北朝鮮を知るうえでの貴重な情報源となっている。
映像方式はヨーロッパで採用されているPAL方式である。北朝鮮では有線放送が整えられており、国内向け放送のうちテレビについては有線放送となっている。このため、北朝鮮以外では見ることができない。ただし、朝鮮中央テレビについては、Thaicom3と呼ばれるタイの衛星を用いて衛星放送も行っている。 周波数/偏波はそれぞれ3424MHz/水平。 受信し辛いが外国でも見ることができる。日本においては最低でも直径150cm以上のパラボラアンテナが必要。(ただし、日本国内で市販されている衛星放送受信装置では受信できない。)
[編集] 日本語放送
1950年7月10日、「偉大な金日成主席の配慮」で開始される。
1日12時間近い日本語放送は他に例がなく、日本人よりも在日朝鮮人を意識した放送だとも言われた。
1960年代前半までは、「この国の人民は全てが主人公」といった論調が目立ったが、1967年に唯一思想体系が採択された後は、金日成賛美一色となった。放送を通じて同国に関する情報を得ようとしても、特定のテーマしかアナウンスしないから困難だとされた。その一方で、聴取者に対するサービスは至れり尽くせりだった。
深夜24時に放送が終了すると、日本人拉致にも使われた「工作員向け」と見られる乱数放送(暗号放送)が、堂々と行われていた。
同放送については、長いこと秘密のベールに包まれていたが、平壌放送愛聴会(会長:長廻政志)などの聴取者団体の努力により次第に秘密のベールを脱いでいき、現在では同放送の正確な所在地および電話番号も判明し、聴取者とアナウンサーの交流も行われている。
[編集] 放送番組(朝鮮中央放送のみ)
テレビ
- 報道(ニュース)
- 二年生たち(ドラマ)
- 物知りおじさん(子どもむけ)
- 漢拏の木霊(ハルラのこだま)(ドラマ)
ラジオ
[編集] 関連項目
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