早慶外語ゼミ
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早慶外語ゼミ | |
設立形態 | 株式会社 |
設立年月日 | 2006年(平成元年) |
塾長 | 余湖三千雄 |
ミッション | *論理的思考力を育成せよ。 *予備校は受験の場である、 が学問の本筋を離れるもの ではない。 *発想を転換せよ。 |
大学受験 | 高校生以上 |
本部所在地 | |
神奈川県相模原市上鶴間本町3-18-42 | |
電話番号 | 042-740-0911 |
目次 |
[編集] 概要
早慶外語ゼミ(そうけいがいごぜみ)は渋谷、池袋、町田、所沢、大宮、浦和、春日部、川口、南越谷、草加にある大学受験予備校。都内近県の現役高校生を主としているが校舎によっては浪人生のコースもある。渋谷校には東大選抜コース、池袋校には医学部受験のSK医学ゼミ、町田校には個人指導コースを設置するなど各校舎で個性を競っている。少子化の中で衰退する予備校が多い中、規模を追求しない堅実な経営の個性派予備校として認知されつつある。2006年より埼玉県を中心に成長を続ける中学・高校受験の学習塾スクール21との協力体制により東京、神奈川に続いて埼玉の強化戦略をとっている。
[編集] 余湖三千雄と早慶外語ゼミ
塾長の余湖三千雄は早慶外語ゼミの創始者として後続の育成を見守り、現在は私立鹿島学園高等学校の理事長兼校長に就任し、サッカー部とゴルフ部を全国レベルの名門校に育て上げた教育者として民間私塾のみならず公教育の中でも評価されている。早慶外語ゼミの幹部や講師の多くは余湖三千雄塾長の元生徒である。1985年に予備校の非常勤講師余湖三千雄が、教えていた生徒らに請われ、補習を町田の裏路地で始めた早慶外語特訓ゼミが前身である。以後、教え子らから絶大な信頼を集め、その独自指導法が「SK方式」と呼ばれるようになり、拡大を続けた。平成4年には2000人を超える生徒が余湖三千雄塾長と、すでに大学を卒業して授業を受け継いだ「元・教え子のフレッシュな講師」らを求めて殺到した。夏期講習の申込日の前夜には深夜の町田に1000人近いの高校生が数100メートルもの泊り込み行列をし問題となったため翌年から先着方式を改めた。しかしやがて少子化の波に飲まれ、校舎は規模を縮小してゆくことになる。平成8年に予備校のない所沢に規模を縮小した所沢校を開校した。予想以上に生徒が集まったが、少子化を見越して規模の拡大を抑えた。平成10年には都心進出のきっかけとなる渋谷校を開校。それまでは渋谷で成功した塾、予備校は皆無といわれ、どの予備校も撤退に追い込まれていた。早慶外語ゼミは、都内の御三家・名門女子高などの中高一貫校で勉強に行き詰り自信を失いかけた高校生から強い支持を得て成功した。その勢いで平成13年に池袋校を開校し、医学部受験のSK医学ゼミを併設した。医学部受験専門予備校はこれまでも数多くあったが、莫大な寄付金の流用などで社会的信用を失ういかがわしい予備校や、裕福層の弱みに付け込み1000万円以上もの授業料を取るような予備校も少なくなかった。早慶外語ゼミがSK医学ゼミを併設してまもなく、大手予備校も競って医学部受験のイメージアップを強化するようになり、近年では少子化の中でも医学部受験は東大受験をしのぐ最難関受験となっている。
[編集] 入学要項概要
- 一部の選抜コースを除き、選抜試験はない。入学時の学力は問わない方針がある。
- 随時入学できる。体験授業で方針をよく理解しないと続かない場合があるので注意を要する。前向きにチャレンジする精神が求められるようだ。与えられるのを待ってしまう体質の人は改善を求められる。ゆるい個人指導塾などで効率のよい勉強を考えない高校生は苦労すると思われるが、早慶外語ゼミの特徴はチャレンジ精神があれば過去の成績を問われることなく誰でもゼロから平等に鍛えられることにあるのだろう。
[編集] 出版物・記事
- 今ある自分を打ちこわせ!(泉書房)余湖三千雄・著
- 講談師・神田紅により今ある自分を打ちこわせ!がニッポン放送でドラマ化された。余湖三千雄塾長の少年時代がモデルとなっている。
- 受験期になると各予備校がこぞってテレビCMを打つ。どの予備校のCMも極めて低レベルで受験のイメージを壊していることを視聴者も教育産業も気がついているのに改善されないのは残念である。早慶外語ゼミの体験談のシリーズはシンプルだったが、生徒の生の声に説得力はあった。プロの広告代理店の仕事ではないと思われるが、昔と変わらない師弟関係を感じ取ることができる。