山辺皇女
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山辺皇女(やまのべのひめみこ、663年(天智天皇2年)? - 686年10月28日(朱鳥元年10月3日))とは天智天皇皇女。母は蘇我赤兄の娘、常陸娘。天武天皇皇子の大津皇子の正妃。
大津皇子が謀反の意ありとして捕えられて磐余の自邸で死を賜ったのに殉死。その様子は『日本書紀』に「被髪徒跣、奔赴殉焉、見者皆歔欷(髪を振り乱して裸足で走り、殉死した。それを見た者は皆嘆き悲しんだ。)」と記されている。
山辺皇女の母・常陸娘は蘇我赤兄の娘であり、彼女は赤兄の孫であるため、鵜野讃良皇后(赤兄の兄・蘇我石川麻呂の外孫)は大津皇子の天皇即位同様、彼女が皇后になるのは、認めるわけにはいかなかったという説がある。
カテゴリ: 飛鳥・奈良時代の皇族 | 663年生 | 686年没