山本直樹
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山本 直樹(やまもと なおき、1960年2月1日 - )は、日本の漫画家。主に青年漫画を専攻。別に、「森山 塔」(もりやま とう)と、「塔山 森」(とうやま もり)の名義を持つ。北海道松前郡福島町出身。北海道函館中部高等学校、早稲田大学教育学部国文科卒業。水瓶座、血液型AB型。
1984年、森山塔名義で「ピンクハウス」(日本出版社)に掲載の『ほら、こんなに赤くなってる』でデビュー。同年、山本名義でも「ジャストコミック」(光文社)に掲載の『私の青空』でデビュー。以降、大胆な性描写とシャープな演出センスで問題作を発表しつづける。愛とセックスに溺れる弱い人間達が織り成す悲哀を過激に、シニカルに、そしてややユーモラスに描く。
1991年 、『Blue』が初めて東京都条例で有害コミック指定を受ける。当時沸き起こりつつあった有害コミック論争の中心的存在となる。 しかし、有害コミック論争以降も山本の作風は変わらず、『ありがとう』では更に過激な描写を見せた。家が不良に占拠され、レイプ、新興宗教、いじめと、様々な困難が怒涛の如く押し寄せた一家。それでも決して屈せずに奮闘した父を描き、「家族とは何か」と言う重い問いを今一度投げかけた同作は、高く評価された。続いて連作短編『フラグメンツ』では、絵は更に繊細に美しくなる。
2000年からは、漫画雑誌「マンガ・エロティクス」(太田出版)の監修も務める。
技術的な面としては、かなり早くから漫画にMacintoshによる作画(CG)を取り入れていることが挙げられる。「Aldus SuperPaint」という現在では発売中止になった(開発元が今は無い)ソフトを使い、近年はアシスタントをほとんど利用していない。
漫画家の吉田戦車とは友人である。ミュージシャンのムーンライダーズのファンである。奥浩哉は元アシスタント。
目次 |
[編集] 略歴
- 1977年 - 北海道函館中部高等学校卒業。
- 1982年 - 小池一夫が主催する「劇画村塾」に入塾する。同期に堀井雄二、大野安之などがいる。
- 1983年 - 早稲田大学教育学部国文科卒業。
- 1984年 - 森山塔名義で『ほら、こんなに赤くなってる』でデビュー。
- 1984年 - 山本直樹名義で『私の青空』でデビュー。
- 1986年 - 『極めてかもしだ』が有害(不健全)指定を受ける。
- 1991年 - 『Blue』が初めて東京都条例で有害コミック指定を受ける。
- 1992年 - 「コミック表現の自由を守る会」が発足される
[編集] 作品リスト
[編集] 山本直樹名義
- まかせなさい!
- ごめんねBボーイ
- 極めてかもしだ
- あさってDANCE
- YOUNG&FINE
- きまぐれハーベストホーム
- 君といつまでも
- 夢で逢いましょう
- フレイクス
- 僕らはみんな生きている(原作:一色伸幸)
- ありがとう
- BLUE
- ビリーバーズ
- フラグメンツ
- 学校
- テレビばかり観ていると馬鹿になる
- はっぱ64
- お家につくまでが遠足です
- 堀田
- こけティッシュ
- 夏の思い出
- 安住の地
- 守ってあげたい
- 破戒 ~ユリ・ゲラーさん、あなたの顔はいいかげん忘れてしまいました~(原作:松尾スズキ)
- のんきな姉さん
- RED
[編集] 森山塔名義
- よい子の性教育
- とらわれペンギン
- ラフ&レディ
- キはキノコのキ
- ペギミンH
- 桃色、大好き!
- 準子さんの肖像
- さくらんぼ倶楽部
- 新・さくらんぼ倶楽部
- そしてイイ気分
- 真夜中のクロール
- 夜のお楽しみ袋
- ずっと朝まで…
- なんかヘンな気…
- じっとしててね
- あとは寝るだけ
[編集] 外部リンク
- ファンサイト