山内豊定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山内 豊定(やまうち とよさだ)は、土佐中村藩の第2代藩主。
|
||||
時代 | 江戸時代前期 | |||
生誕 | 寛永14年12月2日(1638年1月16日) | |||
死没 | 延宝5年10月13日(1677年11月8日) | |||
別名 | 虎之助(幼名)。山内光政、豊直(別名) | |||
戒名 | 慈徳院殿前新衛英巌宗智大居士 | |||
官位 | 従五位下、右近大夫 | |||
藩 | 土佐中村藩主 | |||
氏族 | 山内氏 | |||
父母 | 父:山内忠直 | |||
兄弟 | 弟:山内豊明 | |||
妻 | 正室:有馬忠頼の娘 | |||
子 | 3男2女(長男:国助)。養子:山内豊明 |
1637年12月2日、初代藩主・忠直の長男として生まれる。1667年、父の死去により後を継ぐ。1677年10月13日に死去。享年41。後を養子(実は弟)の豊明が継いだ。墓所:東京都港区愛宕の青松寺。高知県中村市の大用寺。