小渕志ち
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小渕志ち(おぶち しち、弘化4年(1847年) - 昭和4年(1929年))は、三河地方の絹製糸工業に多大な貢献をしたと伝えられる人物である。
1847年に群馬県勢多郡石井村(現富士見村)で生まれた。1862年、15歳のころから製糸業に従事し、糸引き座繰りの技術をマスターする。その後、17歳で結婚するが、夫・斉藤米吉は酒や賭け事に明け暮れる悪い男で、15年の結婚生活の末離婚を余儀なくされる。
その後再婚したものの、精神を病んで行くあてもなく各地を放浪していたが、糸引き座繰りの技術を見込まれて愛知県二川町(現豊橋市)に土着。高い技術を生かした仕事で見る見る間に財を成し、1879年に製糸工場を創業した。その後、玉繭という屑繭から玉糸と呼ばれる高品質の糸を作ることに成功し、大きな利益を上げる。また、自社の経営のみならず三河地方の製糸業の発達に尽力し、同業組合の結成を促進するなど、大きな功績をあげた。
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