小次郎
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小次郎(こじろう、1980年7月9日 - )は日本の元・キックボクサー。東京都出身。本名は宮園泰人(みやぞの やすと)。元WMC世界ウェルター級王者。
前身は柔道選手。現在は起業家として分譲マンション販売会社(株式会社ワイズ・ワン、東京都新宿区)を創業し、代表取締役社長。自らも営業の第一線で奮闘している(現在はリングネームは捨てて本名のみを使用している)。
実兄も羅王というリングネームでキックボクサーをやっている。
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[編集] 来歴
[編集] 青年時代
弦巻中学校出身で、棟田康幸と同期だった。講道学舎で柔道を学び、中学時代には中学生選手権で優勝した。しかし、次第に周囲からの重圧や柔道がやる物からやらされる物に変わってくると、柔道を続けることを断念した。寮から出たその後、家に戻ることが出来ず、渋谷周辺で遊びまわるように。 暴走族『関東連合上町小次郎』に所属、同年代でアタマを張るようになる。少年院に入る等波瀾に富んだ青年時代を過ごした。 なお、「スーパーティーンズ写真集」と銘打たれた写真集『バッヂレス~俺たちには勲章なんかいらない~』では、関東連合の先輩たちと堂々たる面構えで写っている姿を確認することができる。
[編集] プロ転向
ウィラサクレックムエタイジムに所属し、NJKFの選手としてプロキックボクサーとしてデビュー。2001年10月10日にタイでWMC世界ジュニアミドル級王座決定戦に臨む。当初はモッエック・ムアンシーマー(タイ/同級王者)が相手だったが、直前にテイキュウ・ソーウボンラックに変更になった。試合は2Rに小次郎がパンチによるダウンを奪い優勢だったが、続く3Rにテイキュウが戦意喪失とみなされ無効試合扱いになった。同年11月30日、タイのサムロンスタジアムにおいて行われたWMC世界ウェルター級タイトルマッチで1RKO勝ちし、新王者になる。2002年5月12日にはスイット・ウォースティラ(タイ/同級6位)を1R2:37KO(左膝蹴り)で仕留め、同王座防衛に成功。
[編集] フリー転向
2005年6月18日に新田明臣の持つIKUSA U-70戦王王座に挑戦。5R判定(3-0)で下し、第2代戦王になる。しかし、試合後のインタビューで本人はK-1制覇の夢を公言し、王座返上を表明する。
[編集] 株式会社ワイズ・ワン
キックボクシングを事実上完全引退し、マンション販売の営業マンへと転じる。2006年6月自らの会社を設立。
前王者 N/a |
WMC世界ウェルター級王者 2001年10月10日 - 2003年 |
次王者 クンタップ・ウィラサクレック |
前王者 新田明臣 |
第2代 IKUSA U-70戦王王者 2005年6月18日 - 2005年6月 |
次王者 N/a |