宮崎正裕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮崎 正裕(みやざき まさひろ、1963年2月5日 - )は剣道家。神奈川県警察の警察官。元日本代表。現在、神奈川県警察特別術科訓練(剣道)コーチ・日本代表強化訓練コーチ。
1990年~2001年まで12年連続で全日本剣道選手権大会に出場し優勝6回・準優勝2回、世界剣道選手権大会団体優勝4回、個人優勝1回、 全国警察剣道大会団体優勝2回、全国警察剣道選手権大会優勝6回、国体優勝1回('05までに国体19回連続出場)、全日本選抜剣道七段選手権大会優勝5回など戦後の剣道史上最高の戦績を残し「平成の剣豪」「平成の超人」「剣道界の鉄人」「努力の天才剣士」等と称される。それまで長く続いてきた「全日本剣道選手権は連覇できない」というジンクスを28歳で打ち崩した。 神奈川県警の術科コーチとしては、全国警察剣道大会団体2連覇('04・'05)、全国警察剣道選手権大会個人優勝('05)、全日本剣道選手権大会個人三位('05・'06)など敏腕ぶりを発揮している。 実弟は宮崎史裕(現在神奈川県警察教養課術科指導吏員)。ライバルは石田利也(現在大阪府警察特別術科訓練(剣道)コーチ)。
目次 |
[編集] 経歴
- 1963年(昭和38年)2月5日に神奈川県横浜市鶴見区で誕生。
- 1969年(昭和44年)小学校1年生から玄武館坂上道場(横浜市鶴見区)で剣道を始める。
- 神奈川県内の剣道強豪校である東海大学付属相模高等学校に進学する。
- 1年生からレギュラーになり、2年生・3年生の時に個人戦で全国大会に出場。
- 1981年(昭和56年)神奈川県警察に奉職。
- 1997年(平成9年)第46回「神奈川スポーツ賞」を受賞。
[編集] 戦績
- 全日本剣道選手権大会 <個人戦>
- 1990年 - 第38回 優勝
-
- 【決勝】対 白川雅博 (東京) メメ
- 1991年 - 第39回 優勝
-
- 【決勝】対 栄花英幸 (北海道) メメ
-
- 【決勝】対 宮崎史裕 (神奈川) メ
-
- 【決勝】対 原田悟 (東京) コ
-
- 【決勝】対 江藤義久 (大阪) メ
- 1999年 - 第47回 優勝
-
- 【決勝】対 江藤義久 (大阪) メメ
- 世界剣道選手権大会 <団体戦>
- 世界剣道選手権大会 <個人戦>
-
- 【決勝】対 宮崎史裕 (神奈川) コ
- 全国警察剣道大会 <団体戦>
- 全国警察選手権大会 <個人戦>
- 国民体育大会 <団体戦>
- 1998年 - 優勝(かながわゆめ国体)
[編集] 人物評
- 中学1年生の時に初段の昇段審査を受験するが4度連続で落ちる。中学2年生の時に5度目の挑戦でようやく初段を取得する。(玄武館坂上道場の同期の中で最も遅かった)。
- 中学校の廃部寸前の剣道部に所属し部員勧誘に奔走するが、結局部員は2人しかあつまらず、体育館も使用させてもらえなかったため教室で稽古を重ねる。
- 東海大学付属相模高等学校に進学し毎日朝夕4時間の稽古を重ねる。片道2時間の通学にもかかわらず、3年間の稽古を皆勤で通す。また、他人の稽古を観察し弱点や攻め方を分析しノートに記録していた。
- 筑波大学スポーツ医学研究室の調査結果によると、宮崎は左足関節の底屈力と打突スピードの能力が異常に高い。
[編集] 外部リンク
[編集] 書籍
- 『宮崎正裕の剣道』.月刊『剣道日本』編集部著.スキージャーナル.
- 『天馬よ 剣道宮崎正裕』.堂本昭彦著.体育とスポーツ出版社.
[編集] ビデオ・DVD
- 『最強七段戦 第15回全日本選抜剣道七段選手権大会』.スキージャーナル.
- 『勝者の戦術 第39回全日本剣道選手権』.スキージャーナル.
- 『好勝負十七番 第49回全日本剣道選手権大会』.スキージャーナル.
- 『全日本剣道選手権大会総集編 1996~1999』.NHKエンタープライズ.
- 『全日本剣道選手権大会総集編 2000~2003』.NHKエンタープライズ.