塚田雄二
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塚田 雄二(つかだ ゆうじ 1957年12月28日 - )は、サッカー選手・指導者。
1980年に甲府サッカークラブ(現・ヴァンフォーレ甲府)入団。選手として9年間活動し、1989年から指導者に転じる。当初は「Uスポーツクラブ」の代表者として青少年のサッカーの普及指導に当たったが、1995年にヴァンフォーレの監督に就任。1999年からのJ2リーグへの参加の際、Jリーグ加盟の社会人トップチームで監督を務める場合に必要なS級指導者ライセンスを保有していなかったため、一旦総監督となる。(正式な監督は勝俣進)その後正式にS級ライセンスを保有するようになって2000年から監督に復帰するが、成績不振のため退任。
2001年から日本サッカー協会指導者養成インストラクターに就任し、2002年からセレッソ大阪に移籍。当初はヘッドコーチだったが、2003年10月より監督として指揮を取り、シーズン終了まで担当。その後はユースチームの総監督とU-18(高校生年代)チームの監督、育成アドバイザーを歴任したが、2005年9月で退団した。2005年10月より2006年1月31日まで関東担当JFAナショナルトレセンコーチとなる。2005年10月のU-20日本代表ベトナム遠征監督。
その後、セレッソ大阪の育成アドバイザーに復帰したが、2006年シーズンはチームが開幕から不振だったことから、4月18日に急遽2度目の監督就任となった。セレッソ大阪との関係は、彼がS級ライセンスを取得する際の指導者養成インストラクターが西村昭宏であったことからである。
2006年12月2日のJ1リーグ戦最終節の敗戦によりセレッソがJ2降格となった事を受け、責任をとり監督を辞任した。
[編集] 選手経歴
[編集] 指導者経歴
- Uスポーツクラブ:代表 1989-
- ヴァンフォーレ甲府:監督 1995-1998
- ヴァンフォーレ甲府:総監督 1999
- ヴァンフォーレ甲府:監督 2000
- 日本サッカー協会:指導者養成インストラクター 2001
- セレッソ大阪:ヘッドコーチ 2002-2003.10
- セレッソ大阪:監督 2003.10-2004.1
- 日本サッカー協会:ナショナルトレセンコーチ 2004
- セレッソ大阪:U-18監督、ユース総監督 2005.1-2005.9
- セレッソ大阪:育成アドバイザー 2005.9
- 日本サッカー協会:ナショナルトレセンコーチ 2005.10-2006.1
- U-20日本代表:監督 2005.10
- セレッソ大阪:育成アドバイザー 2006
- セレッソ大阪:監督 2006.4-2006.12
[編集] 外部リンク
- 甲府クラブ→
ヴァンフォーレ甲府監督 - 1995-1998
-
- 先代:
- 深沢一智
- 次代:
- 勝俣進
- ヴァンフォーレ甲府監督
- 2000
-
- 先代:
- 勝俣進
- 次代:
- ヘイス
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