ノート:国鉄201系電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
目次 |
[編集] 置き換えについて
少し疑問ですが、中央線快速のおそらく国鉄101系電車との入れ換えを以て生産打ち切りとなると、中央・総武線各駅停車や関西の東海道・山陽線各駅停車の分はどう処理しますか?Sat.K 14:31 2004年3月22日 (UTC)
↑ 確かに疑問といわれれば、納得できなくもないですが、中央・総武各駅停車も101系の置き換えであり、関西地区への投入は関西本線などに残る101系を置き換えるための103系を捻出するために東海道・山陽線各駅停車に201系を導入しました。
- もう1つは足の遅い103系では東海道/山陽本線のダイヤに支障が出ると言う事も置き換え理由となりました。219.164.83.227 2006年2月22日 (水) 22:35 (UTC)
[編集] 車体色について
「中央快速線のものは、人参と同じ色である。」という文章ですが、果たして概要の節で必要でしょうか?こういう言い方は、分からなくはないですが、もう少し検討すべき余地があるのではないかというのと、果たして車両の項目でいるのかという点で如何なものでしょうか。この調子でかくと、例えば「京阪神緩行線の塗色は空と同じ色」など訳の分からない塗色の説明が付加されるおそれもありますし、説明としても不可解な説明がこびりつく感じになるのですが。Sat.K 2006年3月10日 (金) 04:04 (UTC)
一部画像掲示板にて大ナラ所属と思われるうぐいす色201系更新車の画像が公開されております。白帯の有無についてはまだ明確なソースがみられないためコメントアウトしておきました。--156.156.156.156 2006年12月3日 (日) 04:56 (UTC)
[編集] 疑問点
よく西日本譲渡の噂がありますが、本当なのでしょうか?発祥は2chあたりの掲示板なのでしょうが、そこでも現在は否定的な意見が大勢を占めるようになっており、信憑性は低いと思うのですが。また、「部品の確保が難しくなってきている」「中央線車両は車体疲労が激しい」という話もあるのですが、これらも嘘なのでしょうか?201系に詳しい方、回答お願いします。
あと、「参考文献」の欄、必要でしょうか?とりあえず加筆はしましたが・・・山本輝雄 2006年3月11日 (土) 12:42 (UTC)
- 加筆ありがとうございました。山本輝雄 2006年3月12日 (日) 16:02 (UTC)
[編集] 車両に関する批評について
ここの所、この車両に関する批評が書かれていますが、果たして百科事典に必要なものでしょうか?百科事典に批評なんかいかなる理由であれ要らないとは思いますが…。
- ある程度評価が固まっているならあってもいいのではないでしょうか。例えば流線型の蒸気機関車なんかは「整備性が悪いと現場の評判は良くなかった」という記述は必要ですよね。ただ個人的な批評は必要ないと思います。--ignis* 2006年3月26日 (日) 23:47 (UTC)
-
- と言うことは、西日本譲渡云々の記事は東日本の201系が実際に廃車解体されてからの掲載になるのでしょうか?この話が飛び交う今だからこそ掲載する必要があると思うのですが・・・山本輝雄 2006年3月27日 (月) 13:55 (UTC)
-
- 実車で確認してからで十分です。そもそも「除籍」や「廃車」は書類上の手続きですから、事業者が自ら公表しない限り外部の者が公式に知る手段はありません。では何故噂になっているか、まあちょっと考えれば分かるでしょうし、それが正当なものなのかどうかも理解できるでしょう。繰り返しますが、趣味の世界で想像や予想、妄想の類を語ることは一向に構いませんが、事実を記述する媒体である百科事典ではそういうのは不要です。噂話は掲示板か何かで思う存分楽しんでくださるようお願いします。sphl 2006年3月27日 (月) 15:39 (UTC)
国鉄205系電車のノートにも書きましたが、百科事典である以上記述は多面的な視野に基づいて構成される必要があると思いますので、評価という記事そのものは必要ないと思います。 また記述する必要があるのなら、「誰が」「どのような視点で」という部分を明確にして記述する必要があると思います。--Tokacyan 2006年5月2日 (火) 06:38 (UTC)
- 確かに一理ありますが、デザイン面・機械面ともに記載されていますし、特に主観が入り込んでいるとも思えませんので、不要ではないと考えます。あえて言うならば、「この車両にはこういう長所があったが、こういう短所もあった。そしてそれは次世代の車両において、このように改善されていった」と書き、記事名そのものも『ハード面とその評価』ではなく、『概要』の中に組み込めばよろしいかと。
- 「誰が」「どのような視点で」とおっしゃいますが、「誰が」と名前を出すということは、当然専門家や有識者の名前が記載されることになりますよね? むしろそのような記述があると、かえって偏った記事にある恐れがあります(201系を全く知らない人の考えにバイアスをかけてしまうことになるのではないでしょうか。特に、記述された評価が専門家や有識者の場合、それが例え荒唐無稽なものであっても騙されやすくなります。人間は特に、自分の全く知らない事柄に関して、『専門家』と名のつく人間の発言や見解を鵜呑みにしてしまいがちですから)。
- 新製されてから間もない車両なら話は別ですが、201系は新製されてから25年も経ちますので、一般的な評価もおおよそ固まっています。そうして形成されてきた評価を「一般的な評価」として、あくまで事実だけを中立的に書く分には問題ないでしょう。--東トウ 2006年5月3日 (水) 14:34 (UTC)
整理ありがとうございました。ただ、事→こと、無い→ないという書き換えはかえって読み難くなったように思います。山本輝雄 2006年5月12日 (金) 10:00 (UTC)
はじめまして,稲岡誠二と申します.現在の版の「問題点」という項目の存在,そしてその内容について,多くの疑問を持っております.以前存在した「評価」というものから見たら大きく改善されたと思いますが,今もなお,客観的事実に基づかない主観的コメントが散見されます. 以下当方のホームページ(http://www.geocities.jp/sinaoka2000/wiki201.htm)に,現在の版に対するコメントを列挙しております.ご興味ある向きには,ぜひご参照ください. なお,ここにも当方が存じ上げる方がいらっしゃることと思います.今回の当方のコメントは現在の版に書かれた「内容だけ」に向けられたものであり,過去の執筆者のどなたに対しても個人攻撃する意図は決してないということを,ここで強調させていただきます.当方はウィキペディアの意思決定に何の力も持っていない一マニアに過ぎませんので,これらのコメントを無視していただくのはご自由ですが,この「201系電車」の項目自体の信憑性にかかわることですので,前向きにご検討されますよう,お願いいたします.
- 稲岡様のサイトを拝見いたしました。相当お詳しいとお見受けいたします。また、裏付けとなる資料もお持ちです。ウィキペディアは「誰でも編集できる」ということが前提でありますので、裏付けがある以上、ぜひ編集にご参加いただけないかと思います。
- また、恐縮ですが、ノートでの議論では必ず署名を行うこととなっています。発言者と時刻を明確にするためです。編集履歴からも判明はするのですが、ルールとなっておりますのでご理解をお願いいたします。署名は、半角で--~~~~と入力するか、編集画面左上のアイコンの右から二番目のボタンで行うことができます。このとき、アカウントを取得されていないと、IPがそのまま表示されますので、アカウントの取得も同時にお薦めいたします。--Diagraph01 2006年5月30日 (火) 16:21 (UTC)
Diagraph01さま,有り難うございます.あと,署名の方法を存じませんですみませんでした.早速アカウントを作成いたしました. 今日のところは目立つところのみちょっとだけ直させていただきました.これから,少しづつ,ゆっくりと,参加させていただこうと思います(数ヶ月前1回だけ編集させていただきましたが・・・IPでバレバレ).よろしくお願いいたします.当方のコメントに対する皆さまからのご意見も,お待ちしております.--Sinaoka 2006年5月31日 (水) 02:36 (UTC)
東トウさま,編集結果拝見させていただいております.
ただ,当方もTokacyanさまの2006年5月2日付けのご意見に全面的に賛成です. 先日の当方のコメントには裏が取れる事象しか記しておらず(その出所を全ては示していませんが,必要に応じて参考文献リストくらい用意します),そのコメントで示した,「出所のハッキリしない裏づけのない中傷」をそのまま存置するのはいかがなものかと思います.今「201系の光と影」となっている項目はその内容を根本的に改変するべきであると強く思います.そのうち自分でそのご提案をするかもしれませんが,今のところは皆さまのご意見も伺いたく,静かに見守らせていただきます.--Sinaoka 2006年6月3日 (土) 00:46 (UTC)
- 御覧頂きまして、また貴重なアドバイスをありがとうございました。くどすぎましたか…。但し、私はTokacyan様の意見には、まるでダメとは申しませんが、上に書いた理由から全面的な肯定は致しかねます。あの編集は鉄道ファンの2005年2月号などを参考に執筆したものです。上に書いた意見に対しても、ご指摘があれば是非伺いたいと思いますので、遠慮なくおっしゃって頂ければと思います。東トウ 2006年6月3日 (土) 12:27 (UTC)
手許に鉄道ファン201系特集があります.19ページに「受難の時代」という項目があるものの,その中でさえ内容は実際に起こった事象のみを扱っています.「201系の光と影」に残っているような裏づけのない批判はどこにも見当たりません.マニア向け掲示板に相応しいレベルと申しましょう. フェアなやり方とは思いませんが,設計時には存在しなかった新系列と比較して201系を論じるのは可能でしょう.しかしその場合も,今なお残っている「裏づけのない批判」は除去するのが大前提です. たとえ大多数のファンが声高に叫ぼうとも,裏づけのないものは百科事典の場には相応しくないかと思いますが,皆さま如何思われますか.--Sinaoka 2006年6月3日 (土) 13:51 (UTC)
- 失礼ながら申し上げますが、「201系の光と影」をよくお読みになっていただければ、「裏づけのない批判」を肯定しているのではなく、否定しているのがご理解いただけるかと存じます。それに、裏づけと申しますが、裏づけは必ずしも明文化されたものとは限りません。
- なるほど、出典の明記できる資料には信憑性があるように見えます。しかし、出典が明記された資料というのも、所詮はその出典を執筆した個人(団体)の考察、もっと言えば主観に過ぎません。一見客観的なデータや統計にせよ、実験状況などの条件を変えればいかようにも操作できるものです。逆説的ですがそういう面では、ある特定の個人や団体が執筆した論文より、不特定多数の明文化されていない意見のほうに信憑性があると言えます。言い換えれば、「根拠や裏づけがいくら存在しても、必ずそれが正しいとは限らない」「根拠や裏づけがないからと言って、その情報が信用できないとは言い切れない」ということです。例を挙げれば、裁判でしばしば証拠とされる「証言」だって、100%正しいとは言い切れません。いくらでも嘘はつけるからです。従って、証拠資料の不在だけではその情報が誤っている根拠にはなりません。
- また、『フェアなやり方とは思いませんが~』とおっしゃいますが、それは短所のみをあげつらっている場合にのみ言えることであって、「201系の光と影」のように長所も書いている場合にはあてはまりません。
- 加えて、ファンの全てが、主観や好みや噂でその系列を評価しているわけではありません。ある程度の知識を持ったファンは、それを基にして客観的に評価や批判を加えるものです。東トウ 2006年6月3日 (土) 16:02 (UTC)
未だに当方の意見を全くご理解いただけないようです.こちらはそれなりに資料やらデータをお持ちしているのですが,資料やらデータの価値をここまで否定されると,議論が進みませんね.これからも自サイトで当方の意見は発信させていただきますが,ウィキ中の他の鉄道系列のページをご一読される事をおすすめします.他の系列の項目では,皆さま冷静に事実だけを執筆しようとされているのに対し,今のこの201系のページは異様です.お知らせいただければ,その根拠となるページをご紹介します. --Sinaoka 2006年6月4日 (日) 03:38 (UTC)
- 敢えてきつい言い方をしますが、随分と被害者意識をお持ちのようですね。本当に貴方の意見が全く理解されていないのなら、あのように書き換えが行われるものでしょうか。確かに以前の「問題点」の記述に関しては、両論併記がされていなかったなどの点で問題があったことは事実です。しかし、私はこれ以上の改変は不要だと考えます。また、この201系のページでここまでお怒りになるのでしたら、ウィキの117系のページに文句をつけないのは(「評価」という項目があります)、どうしてでしょうか。その理由を伺いたいと思います。また、『資料やらデータの価値をここまで否定されると』とありますが、全否定をした覚えはありません。「明文化されているものがあるからと言って、それだけでは必ずしも信用できる情報とは言えない」と書いたまでです。
- それに『他の系列の項目では,皆さま冷静に事実だけを執筆しようとされているのに対し,今のこの201系のページは異様です』とありますが、かつてこの201系のページには、実現するかどうかさえ分からない関西譲渡の話が書いてありましたけれども、実車で確認してからで十分とのことで削除されています。そしてその後も無理に書こうとなさった方はいらっしゃいません。自分の意見が通らないからと言って、異様と決めつけるのは如何なものかと。201系のページの執筆に協力してくださっている他の大勢の方に対して失礼です。東トウ 2006年6月4日 (日) 06:36 (UTC)
この件に付いては、201系に限った事ではないので、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/車両#「車両の批評は必要なのか?」についてに書き込んだ方が良いのかも知れませんね。--目蒲東急之介 2006年6月4日 (日) 06:41 (UTC)
目蒲東急之介さま,早速そうさせていただきました.ここ201系の項での上記の件については,より権限の高い管理者さまのご判断を仰ぎたく思います.それまでは当方から本文編集は行わない事にいたします.--Sinaoka 2006年6月4日 (日) 13:20 (UTC)
その方法も一つの案ですね。因みにWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/その他#「活躍」という表現でも似た様な議論が出ています。--目蒲東急之介 2006年6月6日 (火) 02:44 (UTC)
関連サイト拝読しました.ところでWikipedia:ウィキペディアは何でないかという,明確に定義された公式方針がありました.それと,Wikipedia:多重アカウントについて,必要なログを保存いたしました.ご参考までにご紹介します.--Sinaoka 2006年6月6日 (火) 03:14 (UTC)
Diagraph01さまがWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/車両にご判断を示してくださいました. そのご提案に沿った形で,といいますか,自分の2006年6月3日 (土) 13:51 のノートに『フェアなやり方とは思いませんが,設計時には存在しなかった新系列と比較して201系を論じるのは可能でしょう』と書きました.201系設計当時存在しなかった技術,あるいは使えなかった技術と単純比較するのは『アンフェア』という意味で使ったのですが,それを『あくまでも事実を基にして』書くことは可能だと思うのです.その事実とは,Diagraph01さまが Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 鉄道/車両で例を上げてくださったような資料(査読制度のある定期刊行物,テレビ番組,など)で検証可能な物に限られるのは,Wikipedia:ウィキペディアは何でないかを読めば明白でしょう. たとえば・・・タイトルを「201系で実現したこと・201系で実現できなかったこと」みたいにして,今の「201系の光と影」に代わるセクションとして,「暖色系インテリア」「ステンレス車体」「添加励磁制御」「ボルスタレス台車」「電気指令式ブレーキ」などの技術要素につき,なかった技術,特許がらみで使えなかった技術のように記述していくのはどうでしょう. ただし,コレは自分も含めてですが,こういう内容を書くためには生半可な知識では足りません.必要な資料を集める時間もかかります.執筆される方には,それなりのご覚悟をお持ちいただかなくてはなりませんが,これもウィキの精神を鑑みれば当たり前の事なのかもしれません. このような方向性に付き,皆さまとの合意が得られるのであれば,当方としても執筆者の一人としてお手伝いさせていただければと思いますが,皆さまのお考えをお聞きできればと思います. 繰り返しますが,Diagraph01さまがお示しくださったガイドラインに明確に従うのが,当方のご提案の大前提です. --Sinaoka 2006年6月7日 (水) 03:20 (UTC)
評価のところで「103系では定時運行が困難なほどの高速運転を実施し、これが原因で故障が多発していた京阪神緩行線という」という記述がありますが、高速運転とはどの程度の速度を指していたのでしょうか?少し事実誤認のところがあるように思われます。1980年~1990年まで立花-大阪間に乗っていましたが100キロなんて速度を出す場所は無く、JR後常磐快速線にて100キロ近いスピードで走るような、そういう高速運転というのは上記の区間ではおこなわれておりませんでした。国鉄時代はだいたい70~80キロ程度でノッチオフしていたかと思いますが、京浜東北線や山手線でも70キロ程度でノッチオフする区間があったと思いますので、駅間距離を考えると無茶苦茶ムリをして走っていたというわけではなさそうです。そのあたりの比較データなどを持ち合わせておりませんので記憶に頼る部分ですが、故障多発という点でも故障がもとで運休が発生したというのも一度たりとも聞いた事がありません。平均的な故障率に対してどの程度多かったのでしょうか?どうも思いこみか、何人かの運転士の主観だけで物事を判断しているように思えますが、その点はわたしも勉強不足な点がありますので、根拠や平常時との比較等をご教示頂ければありがたいです。--永尾信幸 2006年9月26日 (火) 11:37 (UTC)
103系の高速運転については、まだ72系が残っていた1970年代初頭から、大阪-京都間が42.8kmを所要45分で表定速度約58km/h(平行する阪急京都線の今の特急が梅田から河原町まで47km強を42分で走っている、と言えばどの程度の速度かおわかりいただけようかと思います)、高槻前後の駅間距離の長い区間を怖いくらいのモーター音を立てて走行していたのをよく覚えています。特に、ガラガラの時の揺れの大きさが、何というか洒落にならないレベルであったことが記憶に強烈に残っています。実際、201系が投入されて嘘のように揺れが無くなり、静かになったことにはひどく感激した覚えがあります。基本的に、京阪神緩行線は1970年代からダイヤ、特に主要駅間の到達時分がほとんど変わっておらず(無論、今に至るまでの間に甲南山手の新設や東西線開業に伴う再編があったわけですから、細部はかなり変わっています)、京都から西明石までの約100kmを2時間弱で走る体制が維持されています(むしろ。先年の大事故の影響もあり、昔に回帰しているようにも見えます)ので、現状の運行体制から当時のおおよその状況を類推することは可能かと思います。少なくとも、私が乗車した当時の感想として、あれが103系に好適な運用状況ではなかったことだけは確かです。後、故障の件ですが、207系就役開始後の岡山への103系転用時に聞いた話では、これらは各部の状態が非常に悪化していた由で、実際前担当各工場は必死で修理して定時運行を維持していたとのことでした。当時の記憶に頼り、具体的な文献資料に欠けるのが申し訳ないのですが、一応ご参考まで。HATARA KEI 2006年9月26日 (火) 13:57 (UTC)
早速のお返事ありがとうございました。返答をいただいた内容から高速運転に関しては「私が乗車した当時の感想として」という言い回しからしても「私見」であるという事でよろしいでしょうか?基本的にウィキペディアの編集は検証可能なもの、つまり根拠のあるものとされ、自己の研究発表や見聞など、周りは知らないが自分だけは知ってるという内容をもとに編集してはいけません。(この件に関してはWikipedia:検証可能性をご覧下さい)「怖いくらいのモーター音を立て、ゆれが激しい」という事象については個人の体感差があるばかりか、その事象と、書こうとしている内容との因果関係についてきちんと証明できるのかが問われるとも言えます。 ちなみに例に挙げられた京都-大阪間の所要時間ですが、鉄道ファン70年11月号(通算114号)の9ページに昭和45年10月頃の東海道山陽緩行線の緩行電車の所要時間が記載されています。引用しますと京都-大阪は55分、大阪-神戸は44分、神戸-明石は34分とのことです。103系が高速運転を余儀なくされたのは昭和47年3月15日改正による新快速の15分間隔化からではないかと思われます。大鉄局電車課による「関西国電略年誌」の117ページによると、この改正で京都-神戸間の緩行103系の最高速度が改正前の95キロから100キロに引き上げられたとあります(神戸以西は95キロのまま、ちなみに旧形は京都-神戸間90→95キロ、神戸以西は90キロ)のでもう少し短縮されているとは思いますが、書かれた45分とはかなり違いがありそうです。 なお、鉄道ピクトリアル1998年12月号(通算662号)の55ページには昭和50年3月10日改正時の東海道山陽線のダイヤが掲載されています。11:02に京都を出発した下り緩行電車は大阪駅に11:53に着いています。ただし高槻駅で8分の待避待ちをおこなっていますので「表定速度」ではなく「平均速度」では書かれたように60キロ程度だったと言えましょう。
故障の件については、わたしも何度か明石区にはおじゃまさせて頂いた事がありますが、書かれてるような「とっても大変な事」であれば皆さん口を揃えて「故障が多い」と言われたと思うのですが、わたしの記憶には全く残っていません。当時の明石区は通勤電車、しかも103系しか配置が無い事からマニアがやってくるなどとても珍しかったのか、イロイロと皆さん優しく対処して頂きましたので、仮に「故障が多くて大変だ」というような事が大きく職場内で取り上げられていたならば、当然その時に話として聞かせて貰えていたのでは?と思ってます。これは単なる私の体験談に過ぎませんが、そのような面も見ているだけに余計に故障の多さという点が、どの程度「公平な観点で記載されたのか」を問いたいと思います。平均故障率などメンテをする部署では必ず持ってるであろうデータなどのによる比較がどこかで発表されているならば信憑性も高まると思いますが、人聞きの怖いところは、例えば年間3件の故障を対応して、その全てが同じ形式の同じ箇所なら、たまたま連続しただけであっても人間の心理としては「その形式のその箇所は故障が多い」と判断してしまいます。それは自分の経験から導き出したものですが、それが全体的なものと一致するかどうかはまた別問題です。ましてや今回の故障に関しては高速運転が原因での故障なのかどうかも明らかにせねば文としてつながりません。 更に岡山区へ東海道山陽線から103系が転出したのは1994年頃ですが、交友社刊「電車」誌の1990年6月号12ページには、宮原電車区の車両技術係の方々による「103系電車の力行性能改善」という記事が掲載されていて103系のノートにも記しましたが、設計通り35%弱め界磁性能を発揮しているかどうかに着目し、従来40%程度だったものを設計通りの性能を出せるように改善し90キロまでの到達時分を平均15秒短縮する成果をあげています。岡山転属時の話を当てはめてみると、高速対応の103系に変わっていながら故障が多発していたのであれば、故障の主たる原因は低速運転しかできない103系を高速運転させたためとは言い切れなくなります。 長々書きましたが、ウィキペディアは誰でも簡単に編集ができるので、勢いいろんな所を編集したくなりますが、1つ1つの編集という作業には先の「検証可能性」にもありますとおり、裏をとって他人から説明を問われた時にもスムーズに資料を出せるようにしなければなりません。そうでなければ、単なる私見という事で削除されても文句は言えなくなります。これらの点については具体的に検証できる資料類が出ない限りは該当する本文を削除せざるを得ないと思われます。--永尾信幸 2006年9月26日 (火) 17:19 (UTC)
103系を引き合いに出されている場面が多く見受けられますが、内容を見てみますと根拠に乏しいものが多く感じます。これは103系のページにも言える事ですが、単に加筆者の思いこみ(103系が嫌いなのか?)からそうさせているようです。例えば201系のページ中「103系がその車内接客設備の貧弱さで批判を浴びた」という表現がありますが、201系が落成した頃の記事を見ますと批判を浴びたというような表現は特に見あたりません。さらに103系に限定してというのはありえないと考えられます。むしろ引き合いに出すのであれば201系によって置き換えられた101系が妥当ではないかと思われますが、そもそも国鉄の車内接客設備はどの形式であってもさほど変わりばえしたわけでもないので、形式を特定する必要性を感じられません。鉄道ファン1979年4月号(通算216号)55ページから61ページまで国鉄車両設計事務所電気車の松田清宏氏が201系の解説をしていますが、記事中に「101系電車は~接客設備面からも103系の最近のグループや一部私鉄電車に比べ見劣りするようになってきた」とも記載されており、接客設備面では当時103系(の後期形?)は容認できるレベルにあった事を裏付けています。少なくともこれらを見ますと、加筆された方の調査不足が明らかではないかと思われます。たぶん、これはウィキペディアの加筆者にありがちな傾向ですが「○○だから××なはずだ」「○○は(たぶん)××だろう」と勝手に自分の頭の中で決めつけてしまい、それを記事にしてしまう結果、このような検証すればボロがでる書き込みが増えてしまうのでしょう。 この件は、このスレッドの上の方で議論されていた件にも関連しますが、数人がうわさ話を流せば事実誤認の項目をあたかも真実かのごとく広める事ができる悪い例と言えるのではないかと思われます。つまり悪意を持った複数人がたくさんの箇所である形式のある箇所の悪口(長所でも可)を流せば、知らずにそれを鵜呑みにする人たちによって単なる作り話であっても「多数の人が噂している」から「信憑性がある」と思わせる事が可能になってきます。ウィキペディアは度々出てきますがWikipedia:検証可能性が非常に大事になりますので、人が知らないけど自分は知ってるんだよというような「裏話」ですら書いてはいけません。そう考えると加筆者は書き込む前に自分が書く内容について入念な下調べ(自分が書こうとしている内容が過去に発表されてるかどうかの確認)をする必要があるかと思われます。今回の件は比較的検証が簡単な大手趣味誌にも掲載されたにも関わらず、その内容と異なる事実を記載されており、どの程度書き込む前に検証されたのかが疑問が残ります。ウィキペディアの編集は誰もが参加できるとはいえ、今回のように本文に掲載された場合、それが「過去に公開されていないのでは?」と読者が感じたとしても、それを削除するには非常な労力がかかります。本来出典を出すのは記事を掲載する側なのに、一度記事が書かれてしまうと、それを除去するには除去する側がある程度の根拠を示さなければならないように感じます。もちろん記事をスパッと削除して「元に戻したければ出典を示せ」とガイドライン通りの方法をとっても良いのでしょうが、やはり人の記事に難癖つける以上は、こちらも何か調べないとと遠慮してしまいます。103系のページでも感じましたが、思いこみで書き込む前に、まず他人が検証可能な裏付けを取って頂きたいなと思います。--永尾信幸 2006年9月28日 (木) 16:23 (UTC)--永尾信幸 2006年9月29日 (金) 01:11 (UTC)
[編集] JR西日本 スカートについて
本文に強化型のスカートに「2005年春までに全車の改良を完了した」とありますが、2006年1月に撮影したクハ200-61は高さの低い旧タイプでした。 専門に当形式を見ているわけではないのですが気になりましたので書いてみました。
それと、今年に入ってからスカートの一部に切り目をつけてジャンパケーブルが干渉するのを緩和させるような改造をしているようです。 これも詳細はわかりませんので、どなたかご存じの方がおられましたら、このあたり加筆していただけると嬉しいです。--永尾信幸 2006年6月4日 (日) 04:53 (UTC)
[編集] 画像について
201系のデビュー当時の「省エネ電車」のHMがついた写真があったらいいと思うのですが…どなたかお持ちではありませんか?--ignis 2006年6月5日 (月) 03:38 (UTC)