古代都市アレッポ
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古代都市アレッポ (シリア) |
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古代都市アレッポ | |
(英名) | Ancient City of Aleppo |
(仏名) | Ancienne ville de Aleppo |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 文化遺産(iii) (iv) |
登録年 | 1986年 |
拡張年 | |
備考 | |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
地図 | |
古代都市アレッポ(こだいとし―)は、シリアの北部にある都市アレッポに残る歴史的構造物が登録されたユネスコの世界遺産(文化遺産)の物件。
目次 |
[編集] 概要
アレッポは、シリアの首都ダマスカスの北、約300km、トルコ国境に近くにあるシリア第二の都市。ユーフラテス川のそばにあり、交通要衝の地として栄えた。紀元前20世紀には、ヤムハド王国の首都であったといわれている。
紀元前10世紀に建築され、12世紀から14世紀には、モンゴル帝国の侵入や、十字軍の攻撃にも耐えたアレッポ城が象徴的な建物。また、世界最大の市場の1つともいわれるスークもアレッポの象徴である。
また、スークの北にあるグレート・モスクは、建築様式が他のモスクの手本になったともいわれている。
[編集] 歴史
ユーフラテス川と地中海方面を繋ぐ、古くからの交通の要衝の地であった。このため古くから商業都市として栄えた。紀元前20世紀には、ヤムハド王国の首都でもあった。その後、ヒッタイトに占領。
アレクサンダー大王の東遠征後、セレウコス朝による支配を受ける。その後、ローマ帝国の支配下で発展。
637年、アラブ人が侵入。10世紀には、アレッポはハムダーン朝の首都になった。
12世紀、十字軍の侵攻が始まると、アレッポはイスラム側の前線基地となる。もともと神殿だったものをアレッポ城へと要塞化。
13世紀には、モンゴル帝国が侵攻。その後、ティムール朝が攻撃。
16世紀、大航海時代に入り、陸路による物資輸送が下火になるにつれて、アレッポの街も衰退していった。
[編集] 主な構造物
- アレッポ城
- スーク(市場)
- キリスト教地区
[編集] 登録基準
この世界遺産は、世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの。
- (iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または景観の顕著な例。