利根川河口堰
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利根川河口堰(とねがわかこうぜき)は、千葉県香取郡東庄町および茨城県神栖市にまたがり、利根川を仕切る堰(河口堰)である。1965年12月に着工し、1971年1月に竣工した。事業費は125億円。常陸川水門と黒部川水門に隣接している。
総延長835mで、2門の調節門、7門の制水門などを擁し、利根川下流における首都圏および周辺部の利水上の重要施設として位置づけられている。
[編集] 利根川河口堰の目的
利根川河口堰には、主に二つの目的がある。
まず一つは、塩害の防止である。利根川下流の傾斜は緩やかであり、明治以降の河川改修によって海水は千葉県銚子市にある河口から40km以上(千葉県香取市付近)まで溯上してくるようになった。その海水が混じった水を、上水道や農業用水、工業用水として利用すると塩害が発生してしまう。特に1958年には渇水によって、大利根用水地域を中心に被害面積約30,000町歩に及ぶ大規模な塩害が発生、千葉県だけで4億円を越える被害額を出した。利根川河口堰はこうした塩害を防ぐため、河口から18.5km地点で利根川を締め切り、それより上流への海水の溯上を防止し、利根川下流部の水を利用できる状態にする事を目的としている。
そして第二に、東京都をはじめとする首都圏に対して水を供給する事を目的としている。利根川河口堰によって利根川をせき止める事により蓄えられた水は、千葉県印西市からはじまる北千葉導水路を経由し、千葉県松戸市から江戸川へと送水され、首都圏へと水を供給することができる。
また、同時に、常陸川水門と利根導水路を連動して運用する事によって、霞ヶ浦の水を利根川を経由して江戸川方面に送る事も可能になった。つまり、利根川河口堰と北千葉導水路によってはじめて、利根川下流部と霞ヶ浦が東京都にとっての水源となりうることとなる。