佐藤静雄
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佐藤 静雄(さとう しずお、1941年10月9日 - )は、日本の政治家、元衆議院議員。
北海道ニセコ町出身。幼くして実父を亡くし、不遇な少年時代を過ごす。北海道倶知安高等学校を経て高崎経済大学卒業。大学時代から福田赳夫代議士の選挙を手伝い、卒業後は民間企業への勤務を経て福田の秘書となる。
1975年、北海道議会議員に初当選。3期務めた後、1983年の第37回衆議院議員総選挙に旧北海道1区から自由民主党公認で初出馬するも落選。なお、同選挙区には、同じく初出馬で福田派候補の町村信孝がおり、佐藤は自身がかつて秘書として仕えた福田のもとから出馬できず、渡辺美智雄を頼って中曽根派に属した。
1986年の第38回衆議院議員総選挙で初当選を果たすが、1990年の第39回衆議院議員総選挙では次点で議席を失う。1991年、北海道知事選挙を間近に控えて、革新系現職の横路孝弘が圧倒的な強さを誇る中、自民党から横路の対抗馬に担ぎ出されるが、準備時間も少なく惨敗を喫した。
1993年に国政復帰。1994年4月、自民党を離党し柿沢弘治を党首とする自由党結成に参画する。非自民連立政権の羽田内閣では、北海道開発庁政務次官就任。その後、柿沢自由党は海部俊樹を代表とする自由改革連合に合流。自由改革連合は同年末の新進党結党に参加するが、佐藤は新進党に参加せず、自由連合を経て自民党に復党する。
1996年、2000年の総選挙では北海道4区で小選挙区勝利を果たし、この間に江藤・亀井派旗揚げに参加。建設政務次官や国土交通副大臣を歴任する。
しかし、2003年の第43回衆議院議員総選挙では、北海道8区から国替えしてきた鉢呂吉雄に敗北し議席を失う。2005年の第44回衆議院議員総選挙では無派閥となり、国政復帰を目指したが再び鉢呂に敗北した。
2007年の参院選では比例区からの出馬を予定しているが、かつて亀井静香側近で鈴木宗男から経済的支援を受けていた事がネックとなり、未だ公認を得ていない。