交響曲第1番 (リムスキー=コルサコフ)
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ニコライ・リムスキー=コルサコフの交響曲第1番変ホ短調作品1は、1865年に完成された交響曲である。
1884年に改訂されており、その際、変ホ短調から、ホ短調に改められた。
曲自体は、当時ロシア5人組が尊敬していたロベルト・シューマンの影響が強く指摘されている。
目次 |
[編集] 作曲経緯
海軍兵学校卒業の年(1861年)にリムスキーは交響曲を書き始めたが、この時彼は、まだ音楽の基礎もほとんど知らなかったのでミリイ・バラキレフの指導の下で作曲を進めた。
62年には、士官候補生として世界一周の遠洋航海に出かけ、その傍らでバラキレフによる添削を受けながら曲を書き進める。
1865年5月にようやく帰国した後、バラキレフや友人の勧めで一気に全曲を書き上げ、12月に初演にこぎつけて成功を収めた。そのとき、ツェーザリ・キュイからは『ロシア初の交響曲』(西欧学派のアントン・ルービンシュタインの交響曲をキュイは無視している)と激賞された。この曲の成功により、リムスキーの作曲家としての道が定まったのであった。
その後1884年に改訂され、調性の変更とともに大幅な書き換え・追加が行われた。
[編集] 初演
- 初版
- 改訂版
- 1885年12月4日、サンクト・ペテルブルク大学の学生オーケストラによる。
[編集] 楽器編成
不明