不改常典
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不改常典(ふかいのじょうてん)は、8世紀以降、主に即位や譲位の際に言及される、天智天皇が定めたとされる法のことである。「かわるましじきつねののり」とも読む。その法の内容をめぐって、日本古代史学では長きに渡って論争がある。
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[編集] 歴史
[編集] 奈良時代(初見)
不改常典の表現の初見は、慶雲4年(707年)7月壬子条における、元明天皇の即位宣命(詔)である。同記事において「関も威き近江大津宮御宇大倭根子天皇(天智)の天地と共に長く日月と共に遠く不改常典と立て賜ひ敷賜はる法」との表現があらわれる。 以後、続日本紀には
の三例が見られる。
[編集] 平安時代以降
朝野群載にも記載されているように、平安時代以降は、桓武天皇即位宣命の中の不改常典に関わる表現が、後の歴代天皇の模範例となり、踏襲された。以後、中御門天皇の即位の詔(御昇壇記・宝永7年11月11日)にも同様の表現があるため、近世にいたるまで「不改常典」が用いられていたことがわかる。
[編集] 論争
不改常典は、天皇の即位・譲位の際にたびたび言及されるにもかかわらず、その内容に直接言及した史料がないため、長く論争が行われている。
本居宣長は詔司解の中で、「大化改新をめぐる法令が不改常典である」と理解した。しかし、大化改新に関わる一連の法令を「天智の法」と見るには無理が多く、現在はとられていない。
以後、
- いわゆる近江令を指すとする説
- 皇位継承法とする説(この説は、天武―文武―聖武という皇位継承を実現するという目的の元に不改常典が定められたとし、さらに二説に分かれる)
- 直系相続を定めたとする説
- 父系嫡系相続を定めたとする説
- 譲位法を定めたとする説
- 天皇と藤原氏の共同執政ないし輔政体制を定めたとする説
- 隋・唐の皇帝を範とした、天皇のありかたを規定したとする説
- 神代紀以来の天壌無窮の皇統君臨の大原則を記したとする説
など諸説があり、現在でも定まっていない。
上記の内容以外にも、
- 元明天皇が天智天皇に仮託して作成されたものなのか、元明以前より何らかの実態があったものなのか。
- 天智天皇系である桓武天皇以降の天皇が用いた不改常典と、それ以前の天皇が用いた不改常典で意味が異なるのか。
なども、解釈の分かれ目となる。
これら、諸説が乱立し、研究者ひとりひとりによって解釈が異なるような状況とすらいえ、いまだに定説をみていない。