三民主義
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三民主義(さんみんしゅぎ、ピンイン:Sān Mín Zhǔyì)
中国国民党の基本綱領として採用され中華民国憲法にその趣旨が記載されている。
民族主義、民権主義、民生主義の3つから成り立つ。
1905年、中国同盟会が創設されたときに「韃虜の駆除・中華の回復・民国の建立・地権の平均」の「四綱」が綱領として採択され、孫文はこれを民族(韃虜の駆除・中華の回復)・民権(民国の建立)・民生(地権の平均)の三大主義と位置づけた。1906年には「四綱」を「三民主義」へとあらためた。1924年1月から8月まで、孫文は16回にわたって三民主義の講演をおこない、民生主義の部分が孫文の病死によって未完のままに終わったが、講演内容は『三民主義』にまとめられ出版された。
[編集] 概要
民族主義は満州族である清王朝を打倒して民族の独立をめざす事を意味し、辛亥革命、第一次国共合作を経て欧米列強の帝国主義による半植民地状態からの脱出と、漢民族と少数民族の平等を意味する五族共和へと発展する。
民権主義は主権在民で五権憲法による民主主義を達成した共和国設立を意味する。五権とは、「司法」・「立法」・「行政」の三権に、中国独自の「考試」と「監察」の二権を加えたものである。
民生主義は経済的な不平等の改善し国家主導を近代化と社会福祉の充実を意味して、地権平均を原則に掲げて大土地所有や私的独占資本を制限して農民への土地の再分配を強調された。