リガス・ヴェレスティンリス・フェレオス
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リガス・ヴェレスティンリス・フェレオス(ギリシャ語 Ρήγας Βελεστινλής-Φερραίος 1757年 - 1798年)はオスマン帝国支配下にあったギリシャの詩人。ギリシャ独立を訴える詩を書き上げた。 リガス・フェレオスはアルーマニア人の多く住むテッサリア地方ヴェレスティノの街で生まれた。故郷を離れた後、勉学を修めるためイスタンブールに向かい、その後ワラキアなどに赴いた。ドナウ地方のファナリオティスに仕えた後、1790年代をヴェネツィアで過ごした。そこで彼はフランス革命の思想に触れ、自由主義に基づいたパンフレットを書き上げている("人権宣言"、"ルメリ、小アジア、エーゲ海諸島およびモルダヴィア、ワラキアにおける新政治体制")。彼はこれらの冊子を配布してバルカン半島におけるオスマン帝国への蜂起を生じさせることを目論んでいた。しかしギリシャ人の協力者が彼を裏切り、彼を逮捕したオーストリアの官警は身柄をオスマン帝国に引き渡した。彼とその協力者たちは1798年にベオグラードで殺害された。
彼の思想はギリシャ独立を目指す秘密結社フィリキ・エテリアに受け継がれ、ギリシャ独立戦争にも大きな影響を与えた。
ギリシャの10レプタ硬貨やかつて用いられていた200ドラクマ紙幣には彼の肖像が用いられている。