メルセデス・ベンツ 300SL
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メルセデス・ベンツ300SLはガルウイングが特徴の2シーターのクーペで後にオープンのロードスターも登場した。
ダイムラー・ベンツによる社内コードはW198で、公道仕様の1954年版は成功した1952年のレース専用車W194(キャブレター仕様のため馬力は低い)をベースにしている。
1954年のニューヨークオートショーで発表された。300SLはその特有のガルウイングと世界初のガソリン直噴エンジン搭載車として最もよく知られている。
ガルウイング形状を採用した理由は、鋼管スペースフレームを採用したため通常の車のようにドアを作ることが出来ず(通常の車のドアにおける下半分に相当する部分にはフレームが来ているため、普通にドアを作ろうとするとそのフレームを切らなくてはならない)、乗降性の確保のためにやむを得ずこの方式を採用したといわれている。しかしこの方法は(当時の技術では)窓の開閉ができないという欠点があり、室内はエンジンの発する熱が入り込んでかなり暑くなってしまった。リアウインドウに排熱用の機構があるが、あまり機能しなかったとのことである。
ガルウイング版は1955年3月から1957年まで生産された。「300」はメルセデス・ベンツ流の排気量の表し方で3リッターを意味した。「SL」は「Sport Leicht」もしくは「Sport Light」の略で軽量スポーツカーを意味した。
より多く生産された(2万5881台)のはよく似た外観の1年後に発売された110馬力4気筒のロードスターのみ(追加ハードトップあり)の190SLだった。190SLと300SLの生産は230SLの生産がはじまった1963年に終わった。
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[編集] 公道のためのレース車
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[編集] 最初のフューエルインジェクション車
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[編集] レース歴と今日の300SL
300SLのレーシングヒストリーはルマン、Berne、ニュルブルクリンク、1952年のメキシコのカレラパンアメリカ総合優勝を含んでいる。1952年の最初に参加したレース、ミッレ・ミリアでは2位と4位を獲得した。エンジン出力がキャブレターにより175馬力しかなく、フェラーリ、ジャガーおよびそれより遅いクルマよりも低い馬力しかなかったのにも関わらず高速なレースでの成功は驚くべきものだった。しかし、軽量で低い空気抵抗により多車と同じスピードに達した。そして優れた信頼性により勝者となった。
1955年のメルセデス・ベンツSLRは300SLをベースとするのではなく直列8気筒のF1カー、W196をベースとする。排気量は2500ccから3000ccへと拡大され燃料はメタノールを含む燃料でなく標準のガソリンとなった。1955年、スターリング・モスの運転でミッレ・ミリアにおいて1600kmを平均速度157.65km/hで優勝した。ドイツ、スウェーデン、アイルランド、シシリー島のタルガ・フローリオで優勝し300SLRはスポーツカーコンストラクターチャンピオンとなった。ル・マン24時間レースでチームの車のひとつが起こした82人の観衆を殺した事故で300SLRはルマンから引っ込められた。
今日、300SLはその独特なドアと世界初の技術のためにすべての年代を通してもっとも収集すべきメルセデス・ベンツのひとつとなっている。価格は40万USドルまで達している。さらに、スポーツカーインターナショナル誌は300SLを歴史上5位のスポーツカーにランクしている
[編集] 諸元
- ホイールベース:2mm
- 全長:4520mm
- 全幅:1790mm
- 全高:1300mm
- 重量:1293kg
[編集] 著名なオーナー
日本では俳優の石原裕次郎 (小樽の石原裕次郎記念館に展示してある) やプロレスラーの力道山が所有していたことでも知られる。