ミッレミリア
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ミッレミリア(Mille Miglia)は1927年から1957年の間にイタリアで行われた伝説的な自動車レース。現在では同名のクラシックカーレースとして毎年開催されている。
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[編集] 概要
[編集] 公道レース
1927年から1957年の間に行われた伝説的な公道自動車レースで、イタリア北部の都市ブレシアを出発して南下しフェラーラ、サンマリノ共和国を経てローマへ。さらにローマから北上してブレシアへ戻るというルートでイタリア全土を1000マイル(イタリア語でMille Miglia=ミッレミリア)走ることから名づけられた。
[編集] 錚々たる参加者
当時はアルファ・ロメオ、ランチア、OM、スタンゲリーニ、マセラティ、フィアット、オスカ、ブガッティ、ルノー、アストンマーチン、ベントレー、MG、メルセデス・ベンツ、アウトウニオン(現在のアウディ)など、錚々たる自動車メーカーがワークスやプライベートで参戦し、特に第二次世界大戦前にはイタリアのベニート・ムッソリーニ率いるファシストや、ドイツのアドルフ・ヒトラー率いるナチスなどが国威発揚のためにこれらのメーカーを国を挙げて支援した。
[編集] 開催中止
第二次世界大戦の勃発により1941年-1946年の間は開催が中止されたものの、終戦後わずか2年の1947年に再開され、ジャガーやペガソ、フェラーリ、ポルシェ、サーブ、チシタリアなどの戦後勃興してきた新興メーカーが多数参戦したものの、1957年にスペインのアルフォンソ・デ・ポルターゴ侯爵がドライブするフェラーリが観客を巻き込む大事故を起こし(デ・ポルターゴ侯爵自身も死亡した)ため、やむなくイタリア政府は以降のレースの開催の中止を命じ、30年間の輝かしい歴史に幕を閉じた。
[編集] 復活
1977年に、当時参戦した実車とその同型車のみが参加できるタイムトライアル方式のクラシックカーレース「ミッレミリア・ストーリカ(Mille Miglia Storica)」として20年ぶりに復活し、以降ジャッキー・イクスやクレイ・レガッツォーニ、ミカ・ハッキネンなどの元F1ドライバーや、スターリング・モスなどの初代ミッレミリアに参加したドライバーも多数参戦する、お祭り的なレースとして毎年5月に開催され人気を博している。
また、公式スポンサーのひとつである宝石商のショパールが参加者に寄贈する同名の腕時計は、コレクターズアイテムとして時計マニアのみならず自動車マニアにも人気である。
[編集] 主な勝利者
- 1927年-フェルディナンド・ミノーラ/ジュゼッペ・モランディ/OM
- 1928年-ジュゼッペ・カンパーリ/ジュリオ・ランポーニ/アルファロメオ
- 1929年-ジュゼッペ・カンパーリ/ジュリオ・ランポーニ/アルファロメオ
- 1930年-タツィオ・ヌヴォラーリ/バティスタ・グィドッティ/アルファロメオ
- 1931年-ルドルフ・カラツィオラ/ウィルヘルム・セバスチャン/メルセデスベンツ
- 1932年-バコーニン・ボルザッキーニ/アマデオ・ヴィナーミ/アルファロメオ
- 1933年-タツィオ・ヌヴォラーリ/アキーレ・カンパニョーニ/アルファロメオ
- 1934年-アキーレ・バルツィ/アマデオ・ヴィナーミ/アルファロメオ
- 1935年-カルロ・マリア・ピンタクーダ/アレサンドロ・デラ・ストゥファ/アルファロメオ
- 1936年-アントニオ・ブリビオ/カルロ・オンガーロ/アルファロメオ
- 1937年-カルロ・マリア・ピンタクーダ/パリーデ・マンベッリ/アルファロメオ
- 1938年-クレメンテ・ビオンデッティ/アルド・ステファーニ/アルファロメオ
- 1939年-中止
- 1940年-フシュケ・フォン・ハンシュタイン/ワルター・バウマー/BMW
- 1947年-クレメンテ・ビオンデッティ/ジュゼッペ・ナボーネ/アルファロメオ
- 1948年-クレメンテ・ビオンデッティ/ジュゼッペ・ナボーネ/フェラーリ
- 1949年-クレメンテ・ビオンデッティ/エットーレ・サラーニ/フェラーリ
- 1950年-ジャンニーニ・マルゾット/マルコ・クロサーラ/フェラーリ
- 1951年-ルイージ・ヴィロレーシ/パスカル・カッサーニ/フェラーリ
- 1952年-ジョバンニ・ブラッコ/アルフォンソ・ロルフォ/フェラーリ
- 1953年-ジャンニーニ・マルゾット/マルコ・クロサーラ/フェラーリ
- 1954年-アルベルト・アスカーリ/ランチア
- 1955年-スターリング・モス/デニス・ジェンキンソン/メルセデスベンツ
- 1956年-エウジニオ・カステロッティ/フェラーリ
- 1957年-ピエロ・タルッフィ/フェラーリ
[編集] La Festa Mille Miglia
[編集] 初回
1992年にはフジテレビジョンが日本へレースごと招き、日本版ミッレミリアである「La Festa Mille Miglia」を開催した。レース自体は60台を超えるクラシックカーをヨーロッパから空輸し、明治神宮外苑の聖徳記念絵画館前に展示した後、国内の一般道を本家同様1,000マイルに渡り走らせるという大々的なもので、観客動員数的にもまずまずであった。しかし、バブル景気崩壊直後であったこともあり、開催直前にスポンサーが撤退するなど金銭的にはかなり苦しいものであったといわれている。
なお、この際には、長年誌面で本家のミッレミリアを取り上げ、自らも参戦して来た自動車雑誌・カーグラフィック誌の小林彰太郎編集長が、「商業主義的過ぎる」として本家の主催者と日本での主催者となる「ヴェテランカークラブ東京」に対する批判を誌面で繰り広げ、その後は一切誌面で本家のミッレミリアを取り上げなくなるという事態になった。この背景には、カーグラフィックが古くから復刻版ミッレミリアを誌面で取り上げてきたにもかかわらず、日本版の開催に際し小林及びカーグラフィックに一切声がかからなかったため、小林が怒ったことが背景にあったといわれている。なお、小林はこの事件以降参戦していない。
[編集] 現在
その後数年間の空白期間の後、フジテレビジョンから独立した初回の日本版のプロデューサーである元フジテレビジョンの増田晴男が、1997年より、日本で唯一国際クラシックカー連盟から公認を受けた本格的なクラシックカーレースとして「La Festa Mille Miglia」を毎年秋に開催することになった (主催はテレビ朝日など)。初回と違い基本的に日本国内からの出場者を中心とし、堺正章や近藤真彦、保坂尚輝などの著名人が毎回参戦するなど本国同様の高い人気を博している。
[編集] 関連事項
- モータースポーツ
- 生沢徹
- タルガ・フローリオ
- カレラ・パナメリカーナ・メヒコ
[編集] 外部リンク
- Mille Miglia(イタリア語/英語)
- ショパール
日本のミッレミリア
- La Festa Mille Miglia
- ツインリングもてぎでのミッレミリアの様子