マックス・ブルッフ
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マックス・クリスティアン・フリードリヒ・ブルッフ(Max Christian Friedrich Bruch, 1838年1月6日 - 1920年10月2日)はケルンに生れベルリンで没したクラシック音楽の作曲家。教師で有名な歌手であった母親から教育を受け、音楽、特に作曲に早くから才能を示した。 ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調が、ロマン派の協奏曲として特に有名でよく演奏される。他にもヴァイオリンと管弦楽のためのスコットランド幻想曲や、チェロと管弦楽のためのコルニドライがしばしば演奏される。
- 1852年(14歳) - フェルディナント・ヒラーとカルル・ライネッケに作曲を学ぶ。
- 1867年(29歳) - ゾンダースハウゼンの宮廷楽長。
- 1879年(41歳) - イギリスに渡り、リヴァプール管弦楽団の主席指揮者。
- 1881年(43歳) - ソプラノ歌手トゥチェックと結婚。
- 1883年(45歳) - ブレスラウ演奏協会長。
- 1892年(54歳) - 帝室芸術院作曲部長。ベルリン高等音楽院教授。
- 1907年(69歳) - 芸術院副総裁。
- 1908年(70歳) - ベルリン大学から神学と哲学の博士号を贈られる。
- 1920年(82歳) - ベルリンのフリーデナウで没する。
多くのユダヤ的主題で作曲し成功を収めたため、ユダヤ人の血を引くのではないかと疑われ、1935年ナチス政府によって上演禁止となる。ブルッフの得意とする合唱曲では美しい旋律の曲が多いが、以後今日に至るも復活されていないと言っても過言ではない。ただしブルッフの祖先がユダヤ人だったという確かな証拠は何もない。
[編集] 作品の一覧
- 交響曲
- 交響曲第1番変ホ長調Op.28
- 交響曲第2番ヘ短調Op.36
- 交響曲第3番ホ長調Op.51
- 協奏的作品(独奏と管弦楽のための作品)
- クラリネット(またはヴァイオリン)、ヴィオラと管弦楽のための協奏曲ホ短調Op.88
- 2台のピアノと管弦楽のための協奏曲変イ長調Op.88a
- ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調Op.26
- ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調Op.44
- ヴァイオリン協奏曲第3番ニ短調Op.58
- スコットランド幻想曲Op.46(1880年)
- ヴァイオリンと管弦楽のためのセレナーデOp.75
- チェロと管弦楽の為のコル・ニドライ(Kol Nidre) Op.47
- 組曲第3番Op.88b(オルガンと管弦楽のための)
- 室内楽曲
- 弦楽八重奏曲 (1920)
- 七重奏曲変ホ長調(クラリネット、バスーン、ホルン、2つのヴァイオリン、チェロ、コントラバスのための) (1849)
- ピアノ五重奏曲 (1852)
- ピアノ五重奏曲ト短調 (1886)
- 弦楽五重奏曲イ短調 (1918)
- 弦楽五重奏曲変ホ長調 (1918)
- 弦楽四重奏曲第1番ハ短調Op.9 (1859)
- 弦楽四重奏曲第2番ホ長調Op.10 (1860)
- ピアノ三重奏曲 Op.5 (1857)
- ピアノ三重奏曲第1番 (1849)
- ピアノ三重奏曲第2番 (1852)
- ピアノ三重奏曲第3番 (1855)
- その他
- 合唱曲『ユビラーテ・アーメン』
- 合唱曲『美しいエレン』Op.24
- 歌劇『戯れと悪口と復讐』(1858年)
- 歌劇『ローレライ』(1863年)
- 歌劇『メルミオーネ』(1872年)