ブルーインパルス
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ブルーインパルス(Blue Impulse)は航空自衛隊松島基地第四航空団所属のアクロバット(エアロバティック/曲技飛行)チーム。正式な部隊名は第11飛行隊。ニックネームは初期のコールサイン、「ブルー・インパルス(訓練時はインパルス・ブルー)」から来ている。初代コールサインは「チェッカー・ブルー」。
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[編集] 概要
1958年、航空自衛隊の戦闘機教官が独断で行った編隊飛行が上官の目に留まったこと、また1959年に行われた米空軍サンダーバーズの日本公演を見た当時の航空幕僚長・源田実(曲技飛行の「源田サーカス」で有名)が打ち出した構想をきっかけに1960年、浜松・第1航空団第2飛行隊内に空中機動研究班として発足した。その後公募したニックネーム「天竜」を用いたが、この「Tenryu」の「r」の発音に管制上支障が出たため現在の「ブルーインパルス」に変更、第4航空団第21飛行隊戦技研究班になるなど何度かの改編が行われた後、現在の部隊名は宮城県松島基地に所属する第4航空団第11飛行隊となった。 また展示飛行専任部隊化に伴い、松島基地内のアラートハンガー跡地に専用隊舎、格納庫、エプロンを設置。隊舎内には各種資料を展示したミュージアム、屋上には見学者用のバリアフリー化した観覧席を設けるなど、環境面においても世界的に恵まれたチームとなり、各地で行われる航空祭や民間イベント等において年間20回程の展示飛行を実施している。
なお、同基地にはパイロット以外のスタッフで結成されたブルーインパルスジュニアも部活動として所属しており、各地の航空祭で展示走行を行っている。
部隊の標語は「創造への挑戦 (Challenge for the Creation.) 」。これはブルーインパルス史上最長のメンバー歴を誇る塩澤信行二等空佐(2005年現在)が、T-4準備班長の時代に掲げた言葉であり、今も連綿と受け継がれている。またT-4ブルーの歴代飛行隊長は隊を去る際、言葉を残していく慣例がある。初代田中光信隊長「魅」、第二代阿部英彦隊長「爽」、第三代塩澤信行隊長「夢・感動」、そして第四代渡邉弘隊長は「風」である。
[編集] 歴代使用機体
[編集] F-86F 1960年~1981年
初代機体。航空自衛隊創設に当たり、アメリカから供与された当時の主力戦闘機である。東京オリンピックの開会式で五輪の輪、大阪万博開会式でEXPO70の文字を空に描いたことなどで有名。22年間に545回の公式展示飛行を行った。
主な改修点は機関銃の銃口のプラグでの封鎖(機関銃自体は重心を取るため残された)や機内燃料タンクの発煙油タンク置き換え、スモーク発生装置のエンジンノズル後方への設置。また一部の計器の配置変更や置き換えも行われている。 当初はG制限が緩やかになるため展示飛行やその訓練ではドロップタンクをはずしていたが、燃料タンクの容量不足が問題化し、後に展示飛行でもドロップタンクを装着することとなった。 なお、東宝映画『今日も我大空にあり』協力をきっかけに東宝デザイナーが担当することとなった有名な塗装の前に、無塗装(一般機とほぼ同じ塗装)・旧塗装(金属の地肌に青とピンクと白の斜ストライプ・編隊長機のみ金とピンクと白)・試験塗装(新塗装の原案にあたる)があった。 F-86F時代の使用機体は全機改修にて取得されていて、ブルーインパルス用に新造された機体は存在しない。 浜松基地に配備されていた機体の中から機銃の命中精度が悪い、オーバーGを経験していない、などの条件がそろった機体を選び出し改修していた。 使用されたのは計34機。うちブルーインパルス所属のまま事故で失われたのは4機である(ただしそのうちの一機はブルーとは関係のない学生訓練中の接触事故で失われた)。
現在02-7966号機と02-7960号機が浜松広報館に保存されている。また、それとは別に12-7995号機(#929号機と記入されているが#929号機も#995号機もブルーインパルスに所属した履歴のある機体)が浜松基地北門前に保存されている。
[編集] T-2 1982年~1995年
二代目機体。国産初の超音速高等練習機。 離陸時にアフターバーナーを使用して発煙油に点火する「トーチング」や長い助走を使った力強い演技が売り。5番機による「単独機最大能力旋回」は、その音と動きが特にダイナミックだった。 T-2時代には三沢基地航空祭でアメリカ空軍の「サンダーバーズ」との競演も果たしている。事故による中断も挟み、14年間に175回の公式展示飛行を行った。
超音速機ではあるが翼面荷重が大きいため機動飛行を行うと速度低下が著しく、課目間の助走に気をつけなければならなかった。それゆえに演技に間延びした感が出てしまうのは致し方ないことといえる。
改修点はアクロ用にスモーク発生装置(胴体内の第7タンクをスモークオイル用に転用)、非力なためフルスロットルでなくとも左エンジンのみ(左エンジンのみなのは右エンジンのアフターバーナーも使用するとスモークオイルが完全燃焼してしまうため)はアフターバーナーを使用可能にするパート・スロットル・アフターバーナー (PTA) などを装備したほか、コックピットへの握り手の追加、一部計器の配置や仕様の変更、スモークオイル残量計の追加などである。
また後期には尾翼にポジションを書くようになり、またT-2を母体として開発されたF-1支援戦闘機からのフィードバックとしてバードストライク対策がなされた一体型風防も装備された。 T-2時代の使用機体は新造機として取得されたもの(#172~177号機)のほか通常のT-2として納入されたものから改修された機体もあった(#111、112、128、163号機)。使用されたのは10機(1981年に8機受領。のち2機補充)で、事故により3機を失っている。
現在、浜松広報館に#111号機が、かかみがはら航空宇宙科学博物館に#173号機が展示されている。
[編集] T-4 1996年~
三代目機体。「ドルフィン」の愛称で親しまれる国産中等練習機。現在運用している機体で、長野オリンピックの開会式に会場上空にて展示飛行をした。1997年にはアメリカ遠征も行い、サンダーバーズと2度目の競演も果たしている。
翼面荷重が小さく、エンジン推力比も大きいため「360°ループ」のような高Gの連続課目や「バーティカルキューバンエイト」のような垂直系の高負荷課目が余裕を持って出来るようになった。発煙装置とその関連装備、風防をはじめとしたバードストライク対策、低高度警報装置などの他、新たにラダーリミッタの制御プログラムがアクロ専用として変更(高速域での制限最大作動角を5度から10度に増大)されている(このためF-86FやT-2時代と違い原則として通常のT-4で訓練することがなくなった)。
機体性能を生かした高機動課目と日本人らしい緻密さを持ち味にした課目が高い次元で融合し、オリジナル課目として5機で星(☆)の形を描く「スタークロス」がある。T-2以降、機体のカラーデザインは一般公募されており、T-2は(大胆な変更が加えられたものの)女子高生4人のグループによるデザイン、T-4は精神科医の斎藤章二氏(斎藤茂太の子息で、F-4のファンとして名高い人物。T-2ブルーのデザイン審査員のひとり)のデザインが採用されている。 現在までのところ、運用しているT-4は全機新造機として取得されている(#720、725~731、745、804、805号機)が、現在機体の疲労度の再評価プログラムが行われており、その結果しだいでは他の部隊と(同じ仕様へと改修を施した上で)機体の入れ替えが行われる可能性もある。
ちなみに、芦屋基地に配属されている練習飛行隊の白地に赤いラインが入ったT-4は、カラーリングがブルーインパルスのT-4に似ていることから、レッドインパルス(あるいはレッドドルフィン)と呼ばれている。
[編集] アクロバット飛行隊の問題と解決
1960年に誕生した「ブルーインパルス」は当初、飛行戦闘技術の研究開発を行う名目で編成され、操縦課程訓練で若いパイロットを育成する教官が展示飛行要員として任務を兼任していた。この形態は1995年の第21飛行隊戦技研究班(T-2ブルー)解散まで35年間続く。しかしパイロットの負担が大きく、在任期間が長期化する(通常、部隊での任期は3年が標準だが、F-86/T-2時代は5~6年以上に及んだ)など人事面での問題点が多かった。
このためT-4に機種更新する課程において「展示飛行専門の飛行隊を立ち上げ、パイロットの任期を通常の3年に戻す。なおかつ3年間アクロ専任とすることでパイロットの負担を軽減する」措置がとられた。このローテーションは2000年の墜落事故により一時的に変更されるも、2002年までには元の体制に戻っている。
任期の3年の内訳は簡潔に行って次のとおり
- 1年目 TR(訓練待機)として演技を修得する。展示飛行時にはナレーションを担当、もしくは後席に搭乗する。
- 2年目 OR(任務待機)として展示飛行を行う。
- 3年目 ORとして展示飛行を行いつつ、担当ポジションの教官としてTRメンバーに演技を教育する。
ブルーインパルスへの異動は「本人の希望による異動」と「命令による異動」があるが、たとえ本人の意思に反した異動の場合でも、次の異動が近づくと「もっとアクロをやっていたい」と思うと言い、TAC(戦闘飛行隊)復帰後も編隊飛行の技量が著しく向上しているなど操縦技術がさらに磨かれている場合が多いそうである。 なお、2003年度の防衛予算案でブルーインパルス仕様としてF-2B・9機が計上されたが、時期尚早として却下されている。
[編集] 沿革
- 1958年 浜松基地開庁祭でF-86Fによる曲技飛行を行う
- 1960年4月12日 浜松第1航空団第2飛行隊内に「空中機動研究班」としてアクロチームが誕生。同年8月1日「特別飛行研究班」に改称
- 1964年 東京オリンピック開会式で会場上空に「五輪」を描く。
- 1965年 第2飛行隊の解散に伴い第1航空団第1飛行隊の指揮下に入り「戦技研究班」と改称。テイクオフ・ロール事故
- 1970年 大阪万博開会式で会場上空に「EXPO'70」の文字を描く
- 1979年 F-86Fによるパイロット教育終了に伴い第1飛行隊解散。それに伴い第1航空団第35飛行隊の指揮下に入る
- 1981年 入間航空祭でF86Fブルーインパルス最終飛行展示、同日T-2ブルーがノーマル仕様機で展示飛行を披露
- 1982年 松島基地第4航空団第21飛行隊内に「戦技研究班(T-2ブルーインパルス)」新編。7月25日に最初の飛行展示を行うも、同年11月14日の浜松基地航空祭で下向き空中開花を演技中に1機が墜落しパイロット1名が殉職、周辺住民に負傷者を出す大事故を起こす。この年の展示飛行は中止され、以後演目から「下向き空中開花」が削除される。
- 1983年 岐阜基地で開催の国際航空宇宙ショーにてフライバイ飛行を実施する。
- 1984年 松島基地航空祭で曲技飛行を含む展示飛行を再開する。
- 1990年 大阪・花と緑の博覧会で博覧会シンボルマーク(巨大チューリップ)を描く。
- 1991年 金華山沖での飛行訓練中に2機が墜落、パイロット2名が殉職。この年の展示飛行を中止する。
- 1994年 米空軍アクロバットチームサンダーバーズと三沢基地航空祭で競演。第4航空団に「臨時第11飛行隊」新編
- 1995年 12月8日の訓練飛行を最後に第21飛行隊戦技研究班(T-2ブルーインパルス)解散(12月22日)、同日第11飛行隊(T-4ブルーインパルス)新編。同年の航空訓練展示(百里基地)でお披露目され、T-2、T-4両ブルーの共演が行われる(T-4は当時臨時第11飛行隊として白スモークによる研究飛行を実施)。
- 1997年 アメリカ空軍創設50周年記念エアショー(アメリカ・ネリス空軍基地)にて初めて海外での飛行展示を実施。
- 1998年 長野オリンピック開会式で展示飛行。
- 1999年 カラースモークの使用を中止。浜松基地航空祭で18年ぶりとなる第一区分の展示飛行を実施。
- 2000年 淡路島で開催のジャパンフローラ2000で展示飛行。同年7月4日、飛行訓練後の帰投中に2機が墜落し、パイロット3名が殉職。事故以降、その年の展示飛行を全て中止する。
- 2001年 同年2月に飛行訓練を再開。7月に開催の松島基地航空祭にて4機による展示飛行を再開するも、9月11日のアメリカ同時多発テロ発生によりこれ以降、全ての航空祭が中止に。
- 2002年 2002 FIFAワールドカップにて埼玉スタジアム2002上空で展示飛行。墜落した機体の補充として新たに2機の新造T-4アクロ仕様機を受領。12月の岐阜基地航空祭から6機体制に戻る。
- 2004年 パシフィックツアー中のサンダーバーズと百里、浜松で競演するも天候不順で展示飛行は全て中止。
- 2005年 12月開催の那覇基地航空祭にてT-4ブルー化初の展示飛行(編隊課目のみ)を実施。
[編集] 展示飛行課目(第1区分)
ブルーインパルスの展示飛行は通常6機で行われる。1番機から4番機までは基本的に編隊を組んで(集団で)飛行し、5番機・6番機がソロを担当する。もちろん6機揃った演技も多数ある。 課目は、第1区分から第4区分まで4パターンあり、天候や地形の条件によりその都度選択され、展示飛行中の気象の変化や残燃料等により、随時変更がなされることがある。基本的に飛行場のある空自基地上空(一部海自基地飛行場も含む)ではアクロバット飛行を行うが、それ以外の場所(民間飛行場やイベント会場等)での展示飛行は近隣の空自基地から飛来するリモート形式となり、編隊課目を中心とする編隊連携機動飛行か編隊航過飛行を行う。
2006年現在、第1区分の展示課目は、26種類。
- ダイヤモンドテイクオフ・ダーティーターン
- ローアングルキューバン
- ロールオン・テイクオフ
- ファン・ブレイク
- 4ポイントロール
- チェンジオーバー・ターン
- インバーテッド&コンティニュアスロール
- レインフォール
- バーティカル・クライム・ロール
- スロー・ロール
- チェンジオーバー・ループ
- ハーフ・スロー・ロール
- レター・エイト
- オポジット・コンティニュアスロール
- 4 (3) シップ・インバート
- キューピット
- ラインアブレスト・ロール
- 360°ループ
- ワイド・トゥ・デルタ・ループ
- デルタ・ループ
- デルタ・ロール&ボントン・ロール
- バーティカル・キューバン8
- スター&クロス 3M(1M)
- タッククロス(パターン1)
- ローリング・コンバット・ピッチ
- コーク・スクリュー
ローリング・コンバット・ピッチは86ブルー以来引き継がれ、またT-4では戦技研究の段階でこれだけは行うことが決まっていた、という伝統的な課目だが、ローリングの仕方等微妙な違いがあり、比べてみると興味深い。またブルーのオリジナル課目であるスタークロスは97年アメリカ空軍ネリス基地で行われた「ゴールデン・エアタトゥー」で披露された際に他4ヶ国(アメリカ、カナダ、ブラジル、チリ)のアクロチームから好評を受け、その後チリ空軍のチームであるアルコネスに採用されるというエピソードもある。 デルタ・ロール&ボントン・ロールは、2004年に初めて公開された新課目である。なお同時に披露された新課目サクラ、オポジット・トライアングルは、現在第3(4)区分に含まれている。
[編集] 関連項目
- ブランエール(海上自衛隊のアクロバットチーム)
[編集] 外部リンク
- 航空自衛隊 - ブルーインパルス・スペシャル
- ブルーインパルス博物館ブルーインパルスグッズ、写真
- ブルーインパルスファンネット