ビリー・コーガン
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ビリー・コーガン(William Patrick Corgan、1967年3月17日 - ) は、アメリカ・シカゴ出身のミュージシャン、詩人である。1990年代に活躍したバンド スマッシング・パンプキンズの中心人物として知られる。192cm という長身そしてスキンヘッドであるほか、音楽制作にたいする完璧主義的な態度、および(誌面やステージにおける)ゴシック・ヴィクトリアン系のファッションへの傾倒などを特徴としている。彼の作曲能力の高さと楽曲形態の広範さは、これまでに発表されたスマッシング・パンプキンズの音源を通じて評価されている。
[編集] 経歴
ビリーの少年期は苦悩に苛まれたものだった。両親はそれぞれに離婚と再婚を繰り返し、彼は異なる家庭の間を「たらいまわし」にされた。14歳の頃には継母の判断によって精神科に送られてしまうということもあった。
スマッシング・パンプキンズが第2アルバム『サイアミーズ・ドリーム』それから第3アルバム『メロンコリーそして終わりなき悲しみ』を発表して大衆からの注目を集めていたなか、彼はマスコミにたいして妙に屈折した態度を採っていたのだが(そしてこれが原因で「奇人」という彼の名札が誌面などで定着したらしいのだが)、それには理由があった。彼は、自分の(スマッシング・パンプキンズの)楽曲についてマスコミがおこなった「曲解」に反抗していたのだ。『サイアミーズ』には、ビリーの実弟が題材となった曲が収録されており、そこで語られている人物像からマスコミは「ビリーの弟は障害者である」と報じた。それは誤認であるとしてビリーは一連の報道を否定したが、当初の内容にたいする大衆のウケがよかったことからマスコミは敢えてビリーの真意と要求を無視しながら誤った報道を続けた。これにビリーはうんざりし、はたして大衆空間にたいする攻撃的な姿勢を構えた。(彼の弟は今もなお「障害者」として報じられてしまうことがある。)
スマッシング・パンプキンズの人気が隆盛を極めた1996年頃、彼は幾つかの対極的な事件に見舞われる。まず、彼の結婚生活が破綻した。また、バンドのツアー中に発生したサポート・キーボーディストの麻薬中毒死に関与したドラマー、ジミー・チェンバレンをバンドから脱退させなければならなかった。そしてさらに、自身の実母が亡くなった。一連の悲劇は、彼に多大なる精神的衝撃を与えた。(彼のその内面的情況は、バンドの第4アルバム『アドア』にて如実に表されている。)
1999年、謹慎していたジミーにビリーは声をかけ、バンドの第5アルバム『マシーナ/マシーンズ・オヴ・ゴッド』を制作する。
スマッシング・パンプキンズは2000年の暮れに解散した。
その3年後、彼はジミーを交えて新たにズワンを結成し、『メアリー・スター・オブ・ザ・シー』を発表した。バンドはツアーをおこない(日本にも訪れた)、ビリーの復帰を待ち望んでいたファンを喜ばせた。ところが彼らは突如、ビリーの意志によって解散させられる。彼曰く、ズワンには「情熱を感じることができなかった」らしい。
2004年、写真家でありガールフレンドであるヤレナのイラストレーションを配した詩集を発表した。
2005年、初のソロ作品『フューチャー・エンブレイス』を発表した。エレクトロを基盤に、著しく加工されたギターが厚く重ねられているのが特徴的である。いささか『アドア』を彷彿させる仕上がりである。だが作品は致命的に売れなかった。
2006年の夏、ビリーは再びジミーと一緒に作曲と録音を始めた。スマッシング・パンプキンズ名義のアルバムを発表することが意図されている。
[編集] そのほか
ビリーは若い頃からニューオーダーのファンであり、フジ・ロック・フェスティバルでのニューオーダーのショウではサポートメンバーとしてギターを担当した。
父はブルースミュージシャンのビル・コーガン(Bill Corgan)である。