ハングル専用
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ハングル専用( - せんよう)とは、朝鮮半島において、中国生まれの漢字を使わず、固有の文字であるハングルのみで国語を表記することを指す。
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[編集] 李氏朝鮮時代
ハングルを創製したのは、李氏朝鮮第4代国王世宗である。しかし、世宗は漢字に代わる文字としてハングルを創製したのでなく、漢字の学習が困難な庶民、特に女性・子どものために創製したのであった。それにも増して守旧派儒学者の事大思想による漢字至上主義がハングルの公用文書への使用を阻害し、李朝の公文書は、漢文で作成された。 とはいえハングルは民衆や女子の間で広まり、識字率の向上に役立った。この新たな文字を使い庶民は私文書を作り、歌や詩などを記録した。これを受けて李朝中後期になると両班の中にもハングルを用いて文芸活動にあたるものが少なからず登場し、小説の領域で漢字ハングル混交文体で書かれた小説、さらには「漢字の助けを借りないで」ハングルのみで書かれた作品が現れた。これらの中には朝鮮王朝期文学の最高峰とも評される『春香伝』などが含まれていた。 これらの流れを受け、開国後の李朝末期にはハングルと漢字交じりの文章が始めて公用文に採用された。更に民族主義団体が、ハングルだけで国語を表記することを提唱した。
[編集] 日本植民地統治時代
学校教育における教授言語は日本語となったが、日本植民地統治時代の前期から中期にかけては時間数は少ないながら朝鮮語も科目の一つとされた。但し植民地統治の最終期には朝鮮語は事実上学校教育から排除され(皇民化教育)たため、この時期に教育を受けた人の中には現在でも余りハングルのつづりが上手で無い人もいる。
[編集] 戦後
[編集] 北朝鮮
労働新聞を見れば分かるが、1946年はまだ縦書きで漢字とチョソングル(ハングル)を混用している。1947年には、縦書きを維持しながらも漢字の使用は漢数字に限定している。1948年には、横書きに移行し、同時に漢字の使用も全廃している。金日成の命令一下だったのだろう。
しかし、1968年には、金日成の見解で、漢字を使用する必要はないとしながらも、中国・大韓民国・日本で漢字を使用していることを理由に高等中学校で漢字学習を義務付けた。
[編集] 韓国
1948年の建国と同時に、ハングル専用法を制定し、公文書はハングルで作成するものとした。しかし、自由民主主義を標榜している韓国では、漢字の知識のある人の漢字使用は禁止せず、代わりに漢字教育を厳しく制限した。一世代かけて漢字を使わずハングルのみを使用する世代を育成する戦略であった。
ハングル専用主義者の運動が功を奏し、1990年代後半には漢字を使用したら読者が読めないとの理由から、漢字存続を主張した新聞も、漢字使用をやめていった。漢字存続の立場に立つ朝鮮日報でも、日刊紙は事実上のハングル専用(漢字を補助表記として括弧内に限って使う)になった。知識人を対象とした月刊朝鮮でのみ漢字の使用を継続し、少年朝鮮で漢字教室を掲載して次代の漢字復活を期待している状況にある。
[編集] 付記
ベトナム語におけるクオックグー専用と同様、ハングル専用に対しても、
- ハングルのみでは同音異義語が多量に発生するため読みづらくなる。
- 漢字を用いずして語の正確な意味を知ることは不可能
- 伝統文化との断絶を回避すべき
との理由で漢字復活を主張する声が知識人を中心に根強いが、やはりこれにも反対意見が付いており、一般人は多くがハングル専用を支持・容認している。ハングル専用も又当分の間は継続すると考えられている。ベトナム語の項も参照のこと。
[編集] 関連項目
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