ダレル・メイ
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ダレル・メイ(Darrell "Kevin" May、1972年6月13日 - )はカリフォルニア州出身。平成期(1990年代後半-)のアメリカ・メジャーリーグの投手。現在はニューヨーク・ヤンキース所属。日本のプロ野球でも活躍した。
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[編集] 来歴・人物
1998年、1999年の2年間、阪神タイガースでプレーし安定したピッチングを見せたが、打線の援護が乏しく2年間でわずか10勝に終わる。読売ジャイアンツ戦の疑惑の判定は有名(この疑惑の判定は、高橋由伸がファーストゴロを打った際、彼がベースカバーに走ったが、ベースを踏んでいないためにセーフとされたというもの。これに抗議したメイは杉永政信審判の胸を突き、暴力行為で退場となった)。この試合で阪神は痛恨の1点を失い、2対3で負けた。
また、野村克也監督と対立し、英語で書かれた中傷ビラを自ら配るなどで解雇され巨人と契約した。2000年に元チームメイトの和田豊内野手が打席をはずした際に和田に危険球を投げて問題になった。退場処分にはなってないが10日間の出場停止と罰金が科せられた(その日のインタビューでメイはインタビュアの「あの危険球は元同僚の和田を狙ったものか」という質問に対し「TO HIM」{彼を狙った}と答える。)が、12勝を挙げる活躍でリーグ優勝・日本一に貢献。翌年の2001年も10勝と2年間で22勝をあげてチームに貢献した(6月26日札幌ドーム初の公式戦先発し、1回表初球を先頭打者福留孝介がホームラン。札幌ドームで初めて被本塁打記録した投手)。
メジャー復帰を巨人に直訴して退団。2002年よりメジャーリーグカンザスシティ・ロイヤルズと契約、2003年には10勝を挙げた。2005年にサンディエゴ・パドレスに移籍したが、同年7月にヤンキースに移籍。
かなりの気分屋であり、登板が終わると試合終了を待たずに帰宅することもあるようだ。
阪神に恨みを抱いているイメージが強いが、2003年に阪神が優勝した際はデイリースポーツにお祝いのコメントを寄せていた。またコメントでは藪恵壹と仲が良いことをアピールしていた。
[編集] 背番号
- 69(1998年~1999年)
- 42(2000年~2001年)
[編集] メジャーでの成績
年 | 登板 | 投球回 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 被安打 | 被本塁打 | 失点 | 自責点 | 四死球 | 暴投 | 防御率 | 奪三振 |
通算 | 137 | 594(1/3) | 25 | 39 | 0 | 659 | 109 | 360 | 329 | 195 | 11 | 4.98 | 379 |