ターザン山本
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ターザン山本!(-やまもと、1946年4月26日 - )はスポーツライター。山口県岩国市生まれ。本名は、山本 隆司(やまもと たかし)。(当初は「山本 隆」であったが、お金の貯まらない画数であると指摘されたので「隆」から「隆司」に改名した。愛称は、ター山、ターザン。
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[編集] 略歴
山口県立岩国高等学校を経て立命館大学文学部中国文学専攻中退後、映写技師を経て、1977年、「週刊ファイト」のプロレス担当記者として新大阪新聞社に入社。ファイト紙の編集長だった井上義啓の影響を強く受ける。1980年にはベースボール・マガジン社(以下「BBM社」)に移籍して週刊プロレス編集部に入る。その後、1987年には「週刊プロレス」の編集長を、後には「格闘技通信」の編集長も歴任しつつ、筆者の思い入れを強く押し出すレポートスタイルを確立し、「活字プロレス」、「密航」等の流行語を生み出す。UWFブームに便乗し販売部数を増やすと、勢いに乗ってSWSバッシングや全日本プロレスへの批判等、紙面を通じてプロレス界に圧力をかけ全日本プロレスから取材拒否を受けるまでに増長したが、ある時期に態度を間逆にして全日本プロレスの賞賛に転じる。1995年には東京ドームでプロレス興行「夢の架け橋」を主催して話題を集める。彼が編集長の時代、「週刊プロレス」の販売部数が40万部に達したことから出版業界全体でも注目を浴びる。山本自身の回顧によれば、次期社長も夢ではなかったという。
しかし、巻頭コラムで「新日本は地方で手を抜く」と暴露したことをめぐり業界の盟主新日本プロレスと対立し、1996年に取材拒否されるとその影響力は急速に低下し、1996年、雑誌売れ行き不振の責任を取る形で「週刊プロレス」編集長を辞任。その後、BBM社の別会社である恒文社において、大幅な減給の上でヨーロッパ文学の編集をするよう命ぜられたのを不服として、BBM社を退社。
以後は、フリーのプロレス・格闘技ライターとして多くのテレビ番組、トークイベントなどに出演するも、視聴者置いてきぼりの態度と支離滅裂でその場限りの発言ばかり繰り返しレギュラー番組を持つこと数回、ことごとく視聴者を敵に回し首を切られる事になる。ビートたけしからビートたかしの名前をもらい、一時その名義で活動していたこともある。2001年、プロレス・格闘技のライター・編集者を育成する目的で一揆塾を立ち上る。2005年からターザン山本!(感嘆符を後ろにつける)と名乗る。同時期、有限会社ターザン・ギャルドを設立。太田プロダクション所属。現在は小コラム執筆、トークイベント出演、そして「実践文章講座」と銘打った有料文章講義を中心に活動。
[編集] 評価
週刊プロレス編集長として絶大な影響力を誇った90年代には、多くの信者とアンチを生み出し、評価は二分されていた。しかし、現在では純粋なライターとして評価する対象ではなく、専ら「風呂に入らない」「20代の頃はほとんど無職」「妻を部下に寝取られる」「ぬるいビールを出した和民の店長に土下座を強要した」「競馬で破産しかけた」など様々なプライベートの珍言動をネットコミュニティのプロレスファンに提供するだけの存在に堕している。因みにこれらをネタとして、2006年8月、ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!の企画「芸能人サファリパーク」に出演した。
2006年に行われたトークイベント「ターザン山本!と吉田豪の格闘二人祭!!」では、元「週刊ゴング」編集長のGKこと金澤克彦に無視されたことに腹を立て、イベント途中で退席した。実際にはプロレスに興味を失っているものの、プロレスに絡んだイベントで生活しているために、話すことは過去のネタばかりとなり、リアルタイムで活動しているプロレスライターと話が噛み合わなくなってきていることがその根底にある。近年のライター活動においても、事実誤認、題材の使いまわしが多く、準備不足をターザン山本というキャラクターで押し切っているとの批判が多い。指示語の頻用が過剰なほど増え、漢字を忘れたのかカタカナ混じりの文体が頻出、さらにはPC環境を持たない本人に代わって、手書き原稿のPC入力を受け持つ弟子の歌枕力の無知、誤記、誤入力などからくるミス(「墓穴を握る」等)の多さと相俟ってコラムの質が顕著に低下しており、連載数は減少している。また、人材育成を謳った一揆塾や文章講座においても、体系的なカリキュラムを持たず独自の「~論」を振りかざす内容となっているため成果は上がらず、単なるターザン山本の取り巻き会あるいは金蔓と化している。最近では、人生相談に乗りだすなどその活動ぶりは混迷の度を深めている。吉田豪が指摘したように取り巻きとの暴飲暴食や競馬場通いが文筆活動に悪影響を与えており、持病の糖尿病の悪化が懸念されている。
[編集] 主な著書
- 「ザッツ・レスラー」(ベースボール・マガジン社)
- 「プロレス式最強の経営」(日本経済新聞社)
- 「往生際」(ぶんか社)
- 「弾圧」(双葉社)
- 「G・馬場二つの心」(同文書院)
- 「ターザン山本の天国と地獄」(芸文社)
- 「暴露」(世界文化社)
[編集] 関連項目
- ウンナンの桜吹雪は知っている(大仁田厚偽装引退疑惑訴訟で被告として出演)
- 尾崎魔弓(ラジオ番組『尾崎・ターザンのロボタッグ!!』で一緒だった女子プロレスラー選手)
- なお、1994年10月頃から数年間文化放送で日曜日の深夜1時(後に深夜1時30分へ移動)に『尾崎・ターザンのロボタッグ!!』というプロレスを中心とした格闘技のラジオ番組を東海ラジオ・ラジオ大阪ネットで放送していた時期があった。パチンコ・パチスロでお馴染みのダイコク電機がスポンサーだった。(開始当初は深夜1時→1996年10月13日~夜9時→1997年4月13日~夜9時30分→1997年10月12日~深夜1時30分で1998年4月5日が最終回だった。)