タラ・リピンスキー
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女子 フィギュアスケート | ||
金 | 1998 長野 |
フィギュアスケート 女子シングル |
タラ・リピンスキー(Tara Lipinski 1982年6月10日 - )は、アメリカ合衆国のフィギュアスケート選手。現在はプロスケーター。
[編集] 来歴
コーチはリチャード・キャラハン(トッドエルドリッジと同じコーチ)
95-96シーズンにシニアに上がり、全米選手権3位になるが世界選手権15位(ショートでのミスが響いたため)
96-97シーズンにはグランプリシリーズ2位を2回(カナダ大会、ドイツ大会)さらにグランプリファイナル1位、全米選手権1位、世界選手権1位と一気に世界の頂点に上り詰める。その原動力となったのは、3回転-3回転のコンビネーションであった(当時リピンスキーは3回転サルコウ-3回転ループのコンビネーションを用いていた)
97-98シーズンはクワンにアメリカ大会、全米選手権で敗れて2位になるも、彼女の持ち味である3回転-3回転のコンビネーション(このシーズンから3ループ+3ループに変更)と終了間際に3トゥループ+ハーフループ+3サルコウの2つの難度の高いコンビネーションを武器に技術的に魅せつける構成を組む。コンビネーションに失敗しても後半で3連続ジャンプに即席で挑戦するなど(2アクセル+ハーフループ+3サルコウ+2ループ)非常に意欲的な姿勢で可能性を見せ付けた。 長野オリンピックでは、プログラムの後半と終了間際に2つの3回転-3回転のコンビネーションジャンプを決め、同じアメリカのミシェル・クワンを技術点で抑え(クワンは3回転-3回転コンビネーションをこの試合で組むことができなかった。左足を痛めていた)オリンピックフィギュアスケート史上最年少となる15歳8ヶ月での金メダルを獲得した。9人の審査員のうち、6人がリピンスキーに1位、3人がクワンに1位をつけた。アメリカの審査員はクワンに1位をつけたが、技術的にリピンスキーが圧倒しており、しかもすべてのジャンプで安定した着氷とスローパートでやわらかいスケーティングをみせたことから、この結果は妥当であった。
長野オリンピックを最後に、アマチュア競技会から引退。 回転の速いジャンプと失敗を恐れずに思い切った難度の高いコンビネーションを組み、ダイナミックな若さ弾けるようなスケーティングが持ち味。練習では4回転ループも成功していたとされているが、現役の公式試合では1度も挑戦しなかった。現役当時比較的苦手としていたのは3回転フリップであり、全米選手権(97-98シーズン)のショートプログラムで転倒したため、総合順位でクワンに1位を許したが、それ以外にジャンプのミスは数えるほどしか無い。
彼女の年齢の若さと可能性からオリンピック2連覇の期待もされたが、リピンスキーは家族と生活する道を選択し、プロに転向。当時の報道ではプロでもアマでも彼女の受け取る報酬に差はそれほど無いとされ、オリンピックの金メダルを獲得したリピンスキーにこれ以上のモチベーションを維持することは難しかったといわれていた。
プロ転向後は体型も大人びた形になり、大方のフィギュアスケート選手がそうであるようにジャンプ偏重のプログラムを組むことが困難であった。彼女が思春期を迎える前(身長と体重が伸びる前に)3回転-3回転の難度の高いプログラムを組むことができ選手としての最盛期とオリンピックの時期が重なったことは彼女にとっても幸運であったといえる。
実質2シーズンで国際大会のトップレベルに上り詰めて一気にオリンピック金メダルを獲得したため、早熟の選手の象徴といわれている(日本の浅田真央選手と同じタイプ)