セクストゥス・ポンペイウス
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セクストゥス・ポンペイウス(Sextus Pompeius、生没年不詳)は共和政ローマの末期の軍人・政治家。三頭政治の一角であったグナエウス・ポンペイウスの次男。父の死後は元老院派の重要人物としてスペインに依ってカエサルへの抵抗を続けた。
父グナエウス・ポンペイウスがファルサロスの戦いでカエサルに敗れ、エジプトに逃れて暗殺されたのちは、海路をスペインに逃れた。かつて父グエナウスがスペインで蜂起したセルトリウスの乱を鎮圧して以来、スペインはポンペイウス派の支持基盤となっていたからである。実際、三頭政治体制ではカエサルはガリア担当、クラッススはシリア担当、ポンペイウスはスペイン及びエジプト担当の属州総督として派遣されることになっていた。
スペインにはカエサルの9年に及ぶガリア遠征にて副将を務め、ファルサロスの戦いではポンペイウス軍の騎兵を率いて戦った名将ラビエヌスも逃れてきており、セクストゥスは兄で父と同名のグナエウスとともにイベリア半島の原住民を味方につけて蜂起した。
戦いは最初のうちはポンペイウス軍に有利に進み、カエサル派の軍勢を相次いで破ったポンペイウス派の勢力は、一時期イベリア半島全域に及んだが、カエサル自らがスペインに出陣してきたことにより形勢は逆転し、ムンダの戦いで兄グナエウスとラビエヌスは戦死した。セクストゥスのみが生き残り、大西洋沿岸部の山地へと逃れた。
カエサルが暗殺された後に、再び蜂起したが、ナウロクス沖の海戦でカエサルの後継者オクタウィアヌスの腹心アグリッパ率いる海軍に敗れた。
[編集] 関連項目
- 『ヒスパニア戦記』(カエサル)