ステュアート朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゲール人
|
||||||||||
オニール
時代 |
|
|||||||||
ステュ
アート朝 |
||||||||||
|
||||||||||
|
ステュアート朝(House of Stuart)は、1371年~1714年におけるスコットランドの王朝名である。1603年以後はイングランド国王を兼ねて同君連合体制となり、1707年にグレートブリテン王国(イギリス)を成立させた。「ステュアート」は、スコットランド語の宮宰(Steward of Scotland)に由来する。メアリーのとき綴りをStewertからStuartに改めた。
目次 |
[編集] スコットランド王朝時代
存在が知られているステュアート家の最も古い祖先はブリトン人貴族フラールド(Flaald、? - 1099年)で、フランスのブルターニュ貴族と親交があった。
ステュアートの家名はアサル朝デイヴィッド1世の治世時代、ウォルター・フィッツアラン(? - 1177年)が王室執事長(Lord High Steward)に任命されたことに始まる。この地位は世襲され、第6代執事長のウォルター・ステュアートがブルース朝のロバート1世の娘マージョリーと結婚したことによって王室に連なった。1371年、デイヴィッド2世が没してブルース朝が断絶すると、ウォルターとマージョリーの息子ロバートがロバート2世として即位し、ステュアート朝が始まった。
以降、ロバート3世からジェームズ6世まで、続いて計8人がスコットランド王として統治した。多くの王が幼少にして即位したこともあり、有力貴族間の政争や貴族との対立に巻き込まれ、王が殺害・連行される事態が相次いだ。対外的には、イングランドとはおおむね険悪な関係で、同盟国フランスを巻き込んでしばしば戦いがおこった。
[編集] スコットランド・イングランド両王朝時代
イングランドからテューダー朝のヘンリー7世の娘マーガレット・テューダーがジェームズ4世に嫁してジェームズ5世が生まれ、ステュアート家はイングランドの王位継承権を得た。
エリザベス1世が即位すると、メアリー・ステュアートはエリザベスが庶出であることを理由にイングランド王位を要求し、スコットランドとイングランドの関係は悪化した。嫡子のいなかったエリザベス1世の死後、メアリーの息子ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世としてイングランド王位に就き、アン女王の時代にグレートブリテン王国として統合されるまで、両国は共通の王と独自の政府・議会を持つ同君連合体制をとった。
ジェームズ1世とその子チャールズ1世は、王権神授説を唱えて国王の絶対性を説き、議会と対立した。ピューリタン革命が起こるとチャールズ1世は処刑され、イングランドでは王制が廃止された。チャールズ2世が王政復古を果たすが、ジェームズ7世/2世は名誉革命でカトリック王として追放された。後、ジャコバイトがジェームズ7世/2世やその長男の家系による王位の奪還を目指したものの、彼らが正式に王としてイングランド、スコットランドに迎えられることはなかった。イングランドとスコットランドの王位はチャールズ1世の孫に当たるウィリアム3世、およびジェームズ7世/2世の2人の娘によって継承され、アン女王の死後はジェームズ1世の曾孫に当たるハノーファー選帝侯ゲオルクがグレートブリテン王ジョージ1世として迎えられてハノーヴァー朝が成立した。
なお、ピューリタン革命期にイングランドでは王のいない空位時代があったが、スコットランドでは皇太子のチャールズ2世が即位し、空位時代はなかったとされる。
[編集] ステュアート家関連年表
- 12世紀 ウォルター・フィッツアラン、アサル朝王室執事長に就任。
- 14世紀 第6代王室執事長ウォルター・ステュアートとロバート1世の娘マージョリー結婚。
- 1371年 マージョリーの子ロバート2世即位、ステュアート朝成立。
- 1390年 ロバート2世死去、ロバート3世即位。
- 1406年 ロバート3世死去、ジェームズ1世即位。国政は摂政オールバニ公に握られ、ジェームズはイングランドに滞留。
- 1424年 ジェームズ1世帰国、戴冠。
- 1437年 ジェームズ1世暗殺、ジェームズ2世即位。
- 1460年 ジェームズ2世事故死、ジェームズ3世即位。
- 1468年 ジェームズ3世、デンマーク王クリスティアン1世の王女マーガレットと結婚。
- 1488年 貴族による反乱の末ジェームズ3世民衆により殺害、ジェームズ4世即位。
- 1502-13年 スコットランド・イングランド間で「恒久和平」成立。
- 1503年 ジェームズ4世、イングランド王ヘンリー7世の娘マーガレット・テューダーと結婚。
- 1513年 ジェームズ4世、「恒久和平」を破棄しイングランドに侵攻。フロッドンの戦いで落命、ジェームズ5世即位。
- 1542年 ジェームズ5世死去。メアリー即位。
- 1567年 内乱によりメアリー譲位。ジェームズ6世即位。
- 1603年 エリザベス1世死去。ジェームズ6世/1世即位、スコットランドとイングランドは同君連合となる。
- 1625年 チャールズ1世即位。
- 1629年 チャールズ1世議会を解散。
- 1642年 ピューリタン革命起こる。
- 1649年 オリバー・クロムウェル、チャールズ1世を処刑し共和制樹立。
- 1653年 クロムウェルが終身護国卿となる。
- 1660年 護国卿リチャード・クロムウェルが退位し、王政復古。チャールズ2世即位。
- 1688年 名誉革命。ジェームズ7世/2世、フランスに亡命。メアリー2世・ウィリアム3世の共同統治。
- 1707年 イングランド・スコットランド正式に合併し、グレートブリテン王国成立。
- 1714年 アン女王死去、ステュアート朝断絶。
[編集] 関連項目
カテゴリ: イギリス史 | イングランドの歴史 | スコットランドの歴史 | イングランドの君主 | スコットランドの君主 | ステュアート家