スチュワート・コープランド
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スチュワート・アームストロング・コープランド(Stewart Armstrong Copeland、1952年7月16日 -)は、アメリカ合衆国のプロミュージシャンである。彼はかつてポリスのドラマーで、そのドラムスタイルで影響を与えるドラマーの一人。ポリス解散後はいくつかのバンドで活動したり、サウンドトラックを手がけている。
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[編集] 来歴
スチュワート・コープランドはヴァージニア州のアレクサンドラか、サウスノーフォークのどちらかで生まれた(エジプトのアレクサンドリアで生まれたと間違えて伝えているウェブサイトがある)。4人兄弟の一番下。父親はCIAのエージェントで、レバノンやベイルートで長くビューローチーフを務めたマイルス・コープランドJr。高校時代は中東のアメリカ人コミュニティで過ごし、ベイルートにあるアメリカン・ハイスクールに通い、スクールダンスでドラムスを叩いた。この数年間は、スチュワートの人格形成に大きな影響を与えた。スチュワートはカリフォルニアの大学に通い、イギリスには1975年に渡った。そこでプログレッシブ・ロック・バンド カーヴド・エアー (Curved Air) に参加した。
[編集] ドラミング
コープランドは、精密でエネルギッシュで、スネアドラムではなくバスドラムでバックビートを打つというレゲエに影響を受けたクリエイティブなドラムスタイルで知られる。彼の独特のサウンドの特徴は、硬くてハイピッチにチューニングした“クラック”スネアドラムとリムショットをその中心に置き、しばしばハイハットとバスドラムだけで演奏される手数の多い巧みなハイハットワークにある。ポリリズムを用いるアプローチは、同時代のドラマーに大きな影響を与えるその独特なプレイスタイルを確固とするものである。
彼はまた、その高い技術・腕前を見せるというよりも、歌・楽曲への敬意としてグルーヴ感を強調するプレイで知られる。彼はかつて、このことの大切さをドラムクリニックで強調したことがある。そのときコープランドは、観客に何かを示せる数少ない現代のドラマーの一人だ、と紹介され、シンプルなロックのビートを2分間、叩いてみせた。たった2分間にもかかわらず、彼のプレイの微妙な変化はグルーヴ感を増し、観客の心を満たしてみせた。
[編集] ポリス The Police
1977年、ポリスのボーカルでベーシストのスティングの実力を見て、度重なる説得の上、バンドを結成。1980年代のトップグループの1つとなる。
よく挙げられるレコードと楽曲:
- Outlandos d'Amour - "So Lonely", "Roxanne", "Can't Stand Losing You"
- Regatta de Blanc - "Message in a Bottle", "Walking on the Moon", "The Bed's Too Big Without You"
- Zenyatta Mondatta - "Driven to Tears", "Don't Stand So Close to Me", "Man in a Suitcase"
- Ghost in the Machine - "Invisible Sun", "Every Little Thing She Does Is Magic"
- Synchronicity - "Synchronicity I", "King of Pain", "Wrapped around Your Finger", "Every Breath You Take", "Synchronicity II"
コープランドはまた、クラーク・ケントというペンネーム・芸名でもレコーディングを行っている。1978年にイギリスのヒットチャートに入った "Don't Care" 、1980年にリリースされたグリーン10インチアルバム、アフリカへの巡礼の旅の結果生まれた1985年にリリースされた The Rhythmatist などである。
彼の兄の一人 Miles Copeland III は I.R.S. Records に見出されポリスのマネージャーを務め、もう一人の兄 Ian はポリスのブッキング・エージェントを務めている。
[編集] ポリス解散後の活動
1986年のポリス解散後、スチュワートはジャズベーシストのスタンリー・クラーク、シンガーソングライターのデボラ・ホーランドと アニマル・ロジック を結成する。このトリオはファーストアルバムで成功し世界ツアーにも出たが、その後はレコード・セールスは下がり、バンドは続かなかった。
コープランドは映画のサウンドトラックを書き始めた。Talk Radio、Wall Street、See No Evil, Hear No Evil などである。テレビ番組 The Equalizer や Dead Like Me、ビデオゲーム『スパイロ・ザ・ドラゴン』 (Spyro the Dragon) のサウンドトラックや、オペラやバレエの楽曲も書き始めた。1983年、フランシス・コッポラ監督の映画 ランブルフィッシュRumble Fish の音楽で、ゴールデングローブ賞にノミネートされた。コープランドはテレビ番組 Babylon 5 のテレビジョンパイロットの曲 "The Gathering" のオリジナルも書いたが、番組が週次でシリーズ化されると音楽担当は Tangerine Dream のクリストファー・フランクに変わった。テレビジョンパイロットのライターズ・エディッションが放映されたときは、クリストファー・フランクのものに代わっていた。
彼はときおり、ピーター・ガブリエルなど他のアーティストのためにドラムスを叩いた。2000年、Primus のベーシスト Les Claypool 、Phish のギタリスト Trey Anastasio と、ジャムバンド Oysterhead を作った。2002年、ドアーズのレイ・マンザレクとロビー・クリーガーに、新アルバムのレコーディングとツアーに起用されたが、怪我のあと、相互に民事訴訟を起こすという形に終わった。2005年、アバンギャルドギタリスト David Fiuczynski と新しいプロジェクト Gizmo をスタートさせた。
コープランドは2006年に、ポリスを描いた映画 Everyone Stares: The Police Inside Out をサンダンス映画祭に出品した。
スチュワート・コープランドはまた、2006年4月現在、BBC放映のテレビ番組『Just the Two of Us』にジャッジとして出演している。8人のセレブリティが8人のプロの歌手とデュエットを組んで歌を歌うという番組である。