ジョン・サイクス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・サイクス(John James Sykes、1959年7月29日-)は、ヘヴィメタル・ハードロックのギタリスト。イングランド・レディング生まれ。現在は米国在住。
目次 |
[編集] 来歴
- 父の仕事の関係でスペイン・イビザ島に滞在していたとき、退屈しのぎにギターを始めたという。テレビでゲイリー・ムーアの演奏をみて衝撃を受け、真剣にギタリストの道を歩むこととなる。英国で結成したバンド、タイガース・オブ・パン・タンは当時のヘヴィメタル・ブーム、NWOBHMの中でそこそこの人気バンドとなる。
- その彼に目をつけたのがシン・リジィのリーダー、フィル・ライノットだった。シン・リジィは当時メンバー間の不和などで解散寸前だったが、フィルがメンバーに「すごいギタリストがいるんだ、もう1枚だけ彼を入れてアルバムを作って、ツアーをして、解散しよう」と相談して了承されたエピソードは有名。こうして完成した名作アルバムが"Thunder And Lighting"(1983年)と、最終公演を収めたロック史上に残るライブ盤"LIFE"(1983年)であり、その鮮烈なプレイでジョンの名は世界的に有名になる。解散を承知で加入したジョンをフィルは弟のように可愛がり、解散後も再結成の話題が絶えなかったが、1986年1月4日、フィルはヘロインの過剰摂取で他界してしまう。
- 次に彼を誘ったのは同じ英国のバンド、ホワイトスネイクのデヴィッド・カヴァーディルだった。ホワイトスネイクはそれまでのメンバーを一新し、コージー・パウエル(ドラムス)とニール・マーレイ(ベース)を加えた最強のメンバーとなっていた。続いて次作のアルバムにかかるが、デヴィッドとの衝突からメンバーが次々と脱退。ジョンはアルバムを完成させるものの、発売をみることなくバンドを去ることになってしまった。この完成したアルバムこそが全米2位、800万枚の大ヒットとなる傑作"WHITESNAKE 1987"である。この「生み捨て」たアルバムが、彼のキャリアとしては現在のところ頂点であろう。
- その後、自らのバンドBlue Murderを結成するも、ハード・ロックに対する逆風もあり順調な活動とは言い難い状況が続いている。その後はバンド名をシンプルに Sykes と変更してしばらく活動していた。
- 現在はThin Lizzyを再結成し、同様にメンバーだったものの不仲だったScott Gorhamと和解してツアーを行っているが、最後に加入したメンバーであるジョンが長い歴史のあるバンドを仕切ろうとする姿勢にはあまり好感を持たない向きもあるようであり、実際に結成から解散まで参加したオリジナルメンバーであるBrian Downey(Dms.)は特別なイベント以外では参加したことがない。因みに2005年のツアーメンバーは、John Sykes(v/g)、Scott Gorham(g)、Marco Mendoza(b)、Michael Lee(ds)。
[編集] 音楽性
演奏スタイルはギブソン・レスポールにこだわった荒々しくも線の太いプレイ。現在はブルースに傾倒しているゲイリー・ムーアの、ハード・ロック時代の魂を受け継いだようなギタリストであり、アルバム"Thunder And Lighting"におけるScott Gorhamとの新旧ギター小僧対決とでも言うべき激しい演奏はファンの度肝を抜いた。当時としてはかなりトリッキーなプレイも得意とし、間違いなく最高のテクニシャンだが、ルーツがはっきりしていることもあり、現代のヘヴィ・メタルに慣れた耳では非常にオーソドックスなロック・ギターに聞こえる。
・デンマーク出身のHM/HRバンドPRETTY MAIDSがアルバム『Sin-Decade』の中に含めたバラード「Please don't leave me」は彼らを一躍メジャーバンドへと認知させ、未だに根強い人気のある曲だが(一説ではメタル史上最高バラードとも)、何を隠そうジョン・サイクスがオリジナル。原曲ではTHIN LIZZYのフィル・ライノットが歌っている。その完成度の高さのためかPRETTY MAIDSはカヴァーではなく、忠実に原曲を再現している。彼らの成功により、当時ジョン・サイクス版もシングルで再発された。
[編集] 関連項目
[編集] バンド
[編集] 人物
カテゴリ: イギリスのギタリスト | ハードロック | ヘヴィメタル・ミュージシャン | 1959年生