ジョン・コナリー
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ジョン・ボウデン・コナリー・ジュニア(John Bowden Connally, Jr., 1917年2月27日 - 1993年6月15日)は、アメリカ合衆国テキサス州の政治家。彼はその生涯で民主党と共和党の両方に所属した。
[編集] 生涯
コナリーはテキサス州フローレスヴィルで生まれて、テキサス大学法律学校を卒業した。彼は第二次世界大戦中にアメリカ海軍で勤務した。
1961年にはジョン・F・ケネディ大統領が、海軍長官にコナリーを指名した。コナリーはテキサス州知事選出馬のため11か月後に辞職した。彼は民主党員として1962年11月にテキサス州知事に選ばれ、1963年から1969年まで知事を務めた。1963年11月22日に彼はテキサス州ダラスでケネディ大統領の自動車に同乗し、大統領が暗殺された時同時に重傷を負った。
リチャード・ニクソン大統領は1971年にコナリーを財務長官に任命し、同職を1972年まで務めた。ヨーロッパからの議員代表団が合衆国を訪問したとき、彼らはドルとの為替相場変動について憂慮している旨の意見を投じたが、コナリーは「あなたたちは問題視しているかもしれないが、我々の通貨だ」と返答した[1]。
またコナリーは政権内部において最も発言力のあるメンバーの1人となり、インフレーション緩和と工業生産力の向上を意図した経済計画を提示した。コナリーはニクソン政権のチーフ・スポークスマンとも呼ばれ、自身で企画・立案した計画を議会に提示した。
1973年にコナリーは、リンドン・ジョンソンがまだ存命中だったが、共和党に加入した。副大統領スピロー・アグニューが1973年に辞職した時、コナリーはニクソンの副大統領候補選択の一人であった。彼は1980年アメリカ合衆国大統領選挙での共和党候補指名に落選した。彼は1993年に死去した。
コナリーと彼の妻は昼メロに熱中していた。1976年1月12日に書かれたTIME誌の記事では、彼らが「愛の物語」を視聴中にはそれを中断する何者にも許可を与えないだろうと語ったことが伝えられた。
[編集] 参考文献
[編集] 外部リンク
- Find-A-Grave profile for John Connally
- Secretaries of the Treasury - George P. Shultz - アメリカ合衆国財務省の公式サイト[1]内の、シュルツの紹介ページ(英語)
- アメリカ合衆国海軍長官
- 1961年1月25日 - 1961年12月20日
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- 先代:
- ウィリアム・B・フランケ
- 次代:
- フレッド・コース
- アメリカ合衆国財務長官
- 1971年2月11日 - 1972年6月12日
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- 先代:
- デヴィッド・ケネディ
- 次代:
- ジョージ・シュルツ
カテゴリ: アメリカ合衆国の財務長官 | アメリカ合衆国海軍長官 | テキサス州知事 | 1917年生 | 1993年没