ジャーヒリーヤ
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ムハンマド |
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ジャーヒリーヤ (Jāhilīyah) は無知、無明、愚かさを意味する言葉で、本来イスラーム以前の文化・時代全般を指す言葉であるが、特にこの時代を設定するのは、この時代が大きな変化の時代であったことを意味する。
ムハンマドがイスラームの預言者として、一神教 (Monotheism) をひっさげて立ち上がった頃、マッカの神殿には部族の地域神を表す神像が何百も祭られていたという(実際、アッラーもその神々と一緒に祭られていた)。後のイスラームから見れば、この時代はまさに真の神を知らない無知の時代(ジャーヒリーヤ)であった。
このジャーヒリーヤの時代はすべて否定的に見る必要はないと思われるが、すくなくとも当時の拝金的、道徳倫理衰退の社会現状に対して、アラビア半島のこれらの信仰崇拝は、なにひとつ対応できるものを持っていなかったことは事実である。
なお、イスラム過激原理主義活動家サイイド・クトゥブは、1964年に出版された著書「道標」の中で「ジャーヒリーヤ論」を展開している。
この中で彼は世界を「真のイスラーム社会」と「ジャーヒリーヤ社会」に区分し、前者を「教義、法、礼がアッラーへの隷属にある社会」、後者を「民主・共産・異教社会ならびにイスラーム社会と自称する(実は専制支配の)社会」と述べた。「自称イスラーム社会」については、当時のエジプト政府を念頭に置いたものと見られる。
このジャーヒリーヤ論は当然エジプトから警戒され、またイスラーム法の権威たるアズハルからも非難を受けたが、その後多くの原理主義グループに受け継がれている。
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