ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス
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ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス(Getúlio Dornelles Vargas , 1882年4月19日 − 1954年8月24日)は、ブラジルの政治家。男性。1930年から1945年までの間と、1951年から1954年までの間に大統領を努めた。
1882年に生まれた。政治家として州議会議員、連邦議会議員を経て、1926年から1927年には大蔵大臣も務めた。1930年の大統領選挙で敗れるが、当時の政治腐敗などの不満を背景に軍事クーデタを成功させて政権を掌握した。1934年に議会から認められて正式に大統領の座についた。1937年、大統領選挙を目前とする中で、再び軍事行動によって選挙を中止させると、議会も解散させて独裁政治を行った。(この時期をエスタード・ノーヴォ体制(新国家体制)とも称する。)彼の独裁は第二次世界大戦中も続くが、終戦後の1945年10月末に軍事クーデタが起こり失脚した。
1951年には、ヴァルガスはかつてのような軍事クーデタでなく、選挙によって大統領に就任した。その際、都市プロレタリアートや左翼からの支持を集めるため、その政治姿勢はかつてより左傾化していた。
政権末期は国民解放党(共産党)に接近。1954年にはこれに反発を抱いたアメリカ合衆国から独裁政治を糾弾される。また、反大統領の姿勢をとるジャーナリスト暗殺計画などへの関与も疑われ、ヴァルガスへの退陣要求が強まった。こうした中、1954年8月25日にヴァルガスはピストル自殺を遂げた。
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