サマリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サマリア(Samaria)は、パレスチナのヨルダン川西岸地区一帯の地域名で、また西岸地区にある都市である。
都市のサマリアはヘブライ語でショメロン (Shomeron)、ギリシア語でセバステ(Sebaste)、アラビア語ではサバスティーヤ (Sabastīya)という。
西岸地区北部をサマリアと呼ぶことはシオニズム的な立場にある人々に好まれ、彼らはヨルダン川西岸地区をユダヤ・サマリアと呼ぶ。アラビア語ではアッサミラー As-Samirah という。
「パレスチナ」というのはペリシテ人の土地、という意味であり、ローマがこの地からユダヤ性を奪うために改名した名前である。また「ヨルダン川西岸」というのは、ヨルダンが西岸地区を占領していた時代に、ヨルダン川に跨る国家であることを示すために付けた名前である。この地域の名称がもし「ユダヤ・サマリア」であり続けたならば、シオニズム運動は別の展開を見せていたかもしれない。
都市サマリアは、西岸地区内に位置する。現在はパレスチナ自治政府統治下にあり、現在はアラブ人の町になっている。
- [1](遺跡部分の写真)
古代のサマリアは、パレスチナにイスラエル王国が存在した時代に、幾人かの王による偶像崇拝の中心となった地域である。
のちにアッシリアの入植政策によってユダヤ地域と異なる宗教形態を持ったため、ユダヤ人から忌避された。バビロン捕囚からの帰還後、ユダヤ教団とサマリア教団の分裂は決定的になり、とくにサマリア教徒は「サマリア人」と呼ばれるようになった。詳細はその項目参照。
サマリア人の聖地はショメロンと同じサマリア地方の、ナブルス市のゲリジム山にある。サマリア教団に伝承されるモーセ五書の形態はマソラ本文と異なり、これを特に「サマリア五書」と呼ぶ。旧約聖書成立の過程をユダヤ教団と共有しなかったため、トーラーのみを聖典とする。