コンチタ・マルチネス
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女子 テニス | ||
銀 | 1992 | ダブルス |
銀 | 2004 | ダブルス |
銅 | 1996 | ダブルス |
コンチタ・マルチネス(Conchita Martínez, 1972年4月16日 - )は、スペイン・バルセロナ出身の女子プロテニス選手。1994年のウィンブルドン女子シングルス優勝者である。1歳年上のアランチャ・サンチェスとともに、長年にわたりスペインの女子テニス界をリードしてきた2強豪であった。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス7位。WTAツアーでシングルス33勝、ダブルス13勝を挙げた。身長170cm、体重59kg、右利き。
1988年2月にプロ入りし、すぐに世界的な活躍を始める。1989年の全仏オープンに17歳5ヶ月で初優勝したサンチェスに刺激されて、マルチネスもめきめきと頭角を現した。赤土の多いスペインで育った選手らしく、マルチネスも長い間“クレーコート巧者”の印象が強かったが、1994年に芝生のウィンブルドン選手権で初の4大大会決勝進出を果たす。その決勝戦で、マルチネスは同選手権で10勝目を狙ったマルチナ・ナブラチロワを 6-4, 3-6, 6-3 のフルセットで破り、スペインの女子テニス選手として最初のウィンブルドン優勝者になった。当時37歳のナブラチロワはこの大会を「最後のウィンブルドン出場」にすると明言していたが、ここで“有終の美”を飾ることはできなかった。
1995年にマルチネスは世界ランキングを自己最高の2位に上げ、すべての4大大会で準決勝に勝ち残った。1998年の全豪オープンで4年ぶり2度目の4大大会決勝進出を果たしたが、当時17歳の最年少女王マルチナ・ヒンギスに 3-6, 3-6 で敗れる。2000年の全仏オープンで3度目の4大大会決勝に進出した時は、地元フランスのマリー・ピエルスに 2-6, 5-7 で敗れた。マルチネスは2度、4大大会2冠のチャンスを逃したことになる。
サンチェスとマルチネスのコンビは、女子国別対抗戦・フェドカップにて無敵の強さを発揮した。1991年、1993年-1995年の3連覇、1998年の5度優勝を飾っている。3連覇を達成した時期は、2人の選手生活の全盛期でもあった。最後の1998年には決勝でスイスのジュネーブに行き、敵地でマルチナ・ヒンギスとパティ・シュナイダーのコンビを破って優勝した。
ライバルのサンチェスが2002年に31歳で現役を引退した後、マルチネスは2004年のアテネ五輪女子ダブルスで、ビルヒニア・ルアノパスカルとのペアで銀メダルを獲得した。女子ダブルス決勝では、中国ペアの李婷&孫甜甜組に 3-6, 3-6 のストレートで敗れている。2005年度もシングルス1勝とダブルス2勝があったが、2006年4月15日、34歳の誕生日の前日に現役引退を表明した。
マルチネスには意外な一面もあり、日本の伊達公子選手に「2勝6敗」と相性が悪かった。4大大会でも1994年の全豪オープン準々決勝と、1996年のウィンブルドン4回戦の2度敗れている。
スペインのテニス界は、男子は綿々と強豪選手を輩出してきた歴史を誇るが、女子は男子に比べると選手層が薄い。サンチェスとマルチネスが“スペイン女子2強豪”として活躍した時期は、まさしく当地の黄金期であった。
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カテゴリ: スペインのテニス選手 | 1972年生