グラント・ヒル
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男子 バスケットボール | ||
金 | 1996 | バスケットボール |
グラント・ヘンリー・ヒル(Grant Henry Hill、1972年10月5日-)は、テキサス州ダラス出身のバスケットボール選手。2004年11月現在、NBAのオーランド・マジックの選手。
グラント・ヒルの父親、カルヴィン・ヒルは、グラント・ヒルが生まれた当時はNFLのチーム、ダラス・カウボーイズのランニングバック(RB)であった。父はエール大学出身でもあり、母のジャネットはウェルズリー女子大学の卒業生であった。ジャネットは入学した最初の年、ヒラリー・クリントンと同じ部屋に住んでいたことがある。父がNFLを引退した後、バージニア州レストンに移り住み、ヒルは高校でバスケットボールのスター選手として知られるようになった。デューク大学に進学し、1991年と1992年の2年連続でチームは優勝し、1994年は決勝戦で破れた。
1994年にデューク大学を卒業後、デトロイト・ピストンズにドラフトで全体の3番目に指名されて入団した。入団した年に、1試合あたり19.9点、5.0アシスト、6.4リバウンド、1.77スティールを記録し、ジェイソン・キッドと共にルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。1995年のNBAオールスターゲームではシャキール・オニールを抑えてファン投票トップで選出された。また、翌1996年のオールスターゲームでも、引退を撤回して復帰していたマイケル・ジョーダンを破り、再びファン投票トップで出場した。
アトランタオリンピックで、ドリームチームⅢのメンバーに選ばれ、金メダルを獲得した。
1996-97シーズンは、1試合あたり21.4得点、9.0リバウンド、7.3アシスト、1.80スティールを記録してシーズンMVP投票でカール・マローン、マイケル・ジョーダンに次いで3番目の得票を得た。また、オールNBAファーストチームに選ばれた。このシーズンNBAで記録されたトリプルダブル35回中13回が彼によるものだった。1995-96シーズンから1998-99シーズンまでの4年間、ガード以外の選手では4年連続アシスト1位となった。ピストンズ時代に彼は3度チームの得点、リバウンド、アシストで同時に1位となり、これはNBA史上ウィルト・チェンバレンだけしか記録していなかったことである。(2回以上記録したのもエルジン・ベイラーを入れた3人だけ)
ピストンズ時代、チームはプレイオフ進出こそするものの優勝を争うにはいたらず、2000年にオーランド・マジックのチャッキー・アトキンスとベン・ウォレスとの交換でトレードされた。トロント・ラプターズから加入したトレイシー・マグレディと共に優勝を狙うこととなった。しかし、トレード前に足首を骨折して以降、ヒルは足首の故障に悩まされ続けることになる。手術の繰り返しにより3シーズンでわずか47試合しか出場できなかった。2004年-2005年シーズンは、不安が残るものの1月20日までは全試合に出場、ファンも復活を喜びファン投票でオールスターに出場した。
現役選手で最高の3試合連続トリプルダブルを記録している。
余談だが妻はR&B歌手のタミア(TAMIA)。グラントがキーボードを演奏できるということもあって彼女のアルバムに参加したこともある。
一児(マイラ・グレイス)の父。
かつてはイタリアのスポーツメーカーFILAと契約を結んでおり、ヒルがシグネチャーモデルのバスケットシューズが存在した。当時(1990年代中頃)は日本の中高生にも人気の高いモデルだった。